<< August 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

夏の思い出

 サルスベリの花が美しく咲き乱れるこのごろ、コスモスを秋桜と言いますから、僕はサルスベリを夏桜と呼びたいと思うのです。サルスベリの花には特別な思いがあります。20余年ほど前、僕が籍を置いていた教会の協力牧師と気が合い良い関係にありました。このサルスベリの花の咲く中、上高地への旅行に出かけた思い出があります。その後も駒ケ根、茅野と旅行を楽しんだものです。結婚式の司式をして頂いた牧師もこの方でした。

 一年契約の牧師でしたので、翌年の3月には教会を後にされました。

 

 

 その後17年目に、僕が送った一通のメールから関係は復帰し現在に至っています。現在はロンドンで宣教にあたっておられます。この若き日の思い出を僕は心の内に大切に包み込んでいます。過ぎし日々を懐かしい友を忘れても良いものかと蛍の光の原詩は記しています。僕の心に響く歌詞です。懐かしい日々を思い出として大切にすることは誰にもある心情です。また、過去の悲しみを引きずって生きて行かなければならないことも多々あることです。しかし、僕たちにあるのは、過去の上に立つ今の現実であり過去は既に過ぎ去っているのです。過去のしがらみに心を囚われては将来はありません。僕たちにあるのは、現在と未来への神の約束です。その日一日に感謝を捧げ、日一日と進む時の中に僕たちが進むべき道を見出し、神がその道を整えて下さり御心を示して下さるように祈る日々でありたいと思います。

 

 協力牧師であった方は今年9月に一時帰国されます。お会いできるかどうかは分かりません。しかし、お会いできたとしたら神への感謝と将来を語り合いたいと思います。

 

聖書の言葉

 見よ。神の幕屋が人と共にあり、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、彼らの目の涙を全く拭い取って下さる。もはや死もなく、悲しみも叫びもない。先のものが既に過ぎ去ったからである。、<ヨハネの黙示録2134

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
人生の拠り所

 蒸し暑い日が続くこの頃、気がかりなのは台風の動きです。大型で動きも遅い。甚大な被害をもたらす可能性が非常に高いと思うのは、気象予報士だけではないと思います。何事もなく、ごく普通に通り過ぎてくれることを願っています。僕は今までに気象の変異によって被害を被った経験がないので、家も財産も、そして家族さえ失った被災された方々を思う時、強く立ち直って頂きたいと祈り願うほかありません。

 今年の気象はやはりおかしい。以前にも記しましたが、畑の作物が一向に育たないこと、

そして本日の画像の百合の咲く時期が遅れていることなどでそのことを感じています。この百合は例年ならば6月に花を咲かせていました。ところが今年は8月です。異常気象は自然が教えてくれます。またそれは、僕たち人類に対する警告であると認識するべきであると思うのです。

 

 

 この先、僕はよく生きても25年〜30年です。その間にこの世の中はどんな風に変わるのだろと思いを馳せます。神は人を邪悪な者には造られませんでした。神のかたちに似せた良きものとして造られたのです。いかなる時も世にある限り、神の栄光と慈しみを語り続けてゆく人生でありたいと思います。そして僕たちの体は、僕たちのものではなく、神のものなのです。神の意志によらなければ髪の毛一本でさえ抜け落ちることはないのです。神から頂いたこの体を大切にすることは、僕たちの義務です。悪いところがあれば医者に診てもらい治療をしなければなりません。また不摂生な生活を避けなければなりません。

自分を喜ばせることよりも、神を喜ばせることをしなければならないのです。その指針となるのが神の言葉である聖書です。

 今週も終わりです。明日から始まる新しい週に、同じ思いを抱く兄弟姉妹と共に苦楽を共にし、神に栄光を帰したいと思います。

 

ハイデルベルグ信仰問答

問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。

答え 私が私自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、私の真実な救い主イエス・キリストのものであることです。

     この方は御自分の尊い血をもって私のすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力から私を解放してくださいました。 また、天にいます私の父の御旨でなければ、 髪の毛一本も落ちることができないほどに、私を守っていてくださいます。 実に万事が私の救いのために働くのです。

      そうしてまた、御自身の聖霊により私に永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜び、またそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
礼拝説教予告

8の礼拝は次の通りです。


どなたでもご出席ください。

日時   8月   6日()19時00分〜

     三位一体後第8主日  

     8月
  13日()19時00分〜   
            
                                    
     三位一体後第9主日

     8月 20日(10時30分〜
              
     三位一体後第10主日

     8
月 27日()10時30分〜   
               

               三位一体後第11主日

 

              

 

             

 

              

 

                     
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


<谷の百合キリスト教会>

日時     8月  20
日() 10時30
          
    
説教     「 ただ信じさい。
 」   

聖書   マルコによる福音書5章21〜43

 

讃美歌  546、15、312、512、541

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 

 

 

 

 

 




 

| comments(0) | trackbacks(0) | 礼拝説教予告 |
キリストは私たちの平和

 梅雨明けの後の方が梅雨らしい毎日の当地です。7月も残すところ2日。今月は何をして過ごしてきたのだろうと顧みても特に何と言ったことなく、平凡な日々の連続でした。そんな平凡な僕の生活の裏では、世の中は大きく動いています。その世の流れに敏感になって思いを巡らし、今の世を考えてみるのが自らの成長につながるものだと思います。

 昨晩は、北朝鮮がまたミサイルを発射したと報道されていました。我が国にとって脅威的な事件です。しかし、北朝鮮の挑発に乗ると更に恐ろしいことが起こる可能性が多分いあります。ですから我が国もアメリカも慎重な対応が求められるのではないでしょうか。

  国の防衛は、なくてはならないものです。僕の従弟の一人も海上自衛官として、国家のために働いています。防衛は大切な国家事業ですが、それに費やす費用は決して安くはありません。かつて新聞のコラムに、“アメリカには3兆円あげた。国民には税金をあげた。”と言う記事がありました。確かに我が国の防衛は、アメリカ無しには考えられません。そのために、沖縄が犠牲をはらって我が国の防衛のために不憫な思いをしても良いと言う事はないと思います。同じく新聞記事に我が国のことを、“アメリカ合衆国日本州”と記された記事がありましたが、わからないでもありません。

 

 

 平和な世界の実現は、困難極まりないと思います。世界を見渡しても、IS,パレスチナ問題、北朝鮮問題などのほか内戦。世は病んでいます。神はそのようなために人を創造されたのでしょうか。決してそのようなことはありません。神のかたちに似せて良きものとして創造されました。しかし人は、生まれながらに神と隣人とを憎む傾向にあるとハイデルベルグ信仰問答は教えています。       8月は我が国にとって重要な月です。敗戦によって天地がひっくり返るほどの価値観の逆転劇が起こった月です。そしてこの時こそ、平和を真剣に考えなければならない月です。戦没者の慰霊も大切なことではありますが、それ以上に平和を考えることが重要なのです。昭和20815日、日本は敗戦しました。現代の日本を見る時、国内には様々な問題があるにしても、僕は敗戦でよかったのではないかと思います。あの時、戦勝国となっていたらどうなっていたことでしょうか。

 

聖書の言葉

 キリストは私たちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。 それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。 それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。<エフェソの信徒への手紙21417

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
主イエスを信じなさい。

 やっと梅雨が明けました。しかし、今年の梅雨はつゆらしからぬものでありました。豪雨により被災された方々には、無礼な表現かも知れませんが当地ではもう少し雨が欲しい思いでした。作物が一向に育ちません。いつもの年なら既にスイカを収穫している時期なのに、今年は未だ雌花が付かず茎の成長も遅れています。スカイ好きの僕にとっては情けない思いです。神が定められた天の法則、地の法則が人により歪められてきている現れであると思っています。この先、天候がその時々にふさわしいものである様に天を仰ぎ見ています。

 

 

 家の庭にはフシグロセンノウが花を咲かせました。かつては野にあったものですが、今では野に見ることは恐らくできないと思います。家の近くにあった野生のフシグロセンノウも姿を消してしまいました。絶滅危惧種の様に思います。幼いころ見てきた野生の草花を今では、ネット通販で買って育てている僕です。フシグロセンノウのほかには、サワギキョウ、そして実生から育てたササユリがあります。大切なものはなくした後で、その大切さ、そして有り難さががわかるものだと僕は考えています。

 7年前の今日は、亡き母の告別式の日でした。今でも前夜式から告別式までのことを昨日のことのように覚えています。親の有り難さも亡くした後でなければわからないものでしょうか。母は、キリスト教徒ではありませんでしたが、「あなたの信仰によって、あなたもあなたの家族も救われます。」と言う聖書の教えを拠り所に、今は復活の時まで神の御許で安らかであるようにと祈りを捧げる毎日です。

 

聖書の言葉

 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」<使徒言行録1631

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
口から出るもの

 今年は空梅雨の様です。いつもの様な梅雨を見込んで、気になっていたアジサイを移植しました。ところがこの日照り続き。毎日、朝晩アジサイに水を与えるのがこの頃の僕の日課になっています。うまく根付いてくれるように祈っています。ところが僕のその仕事を見ていた人がいました。その人が言うには、「いつ枯れるか、時間の問題だね。」と。

 物事には言い方と言うものがあります。この場合、「うまく根付くといいね。」と言っても良さそうなものだと心の内に思ったのです。そこまで言われたのですから、枯らすわけにはゆきません。アジサイの手入れにも力が入ります。

 

 言葉には目には見えない力があります。たった一言の言葉で、人生が変わることも珍しくはありません。その一言によって人生が開けた人もいれば、打ちのめされて立ち直れないような思いをした人もいることです。自分の身になって言葉を選び慎まなければなりません。言葉は、神を讃えるために使うべきものです。それ以上、尊い言葉はありません。決して人を陥れるような言葉を口にしてはなりません。必ずその報いがあります。

  

 

 

聖書の言葉          

 それからイエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」そのとき、弟子たちが近寄って来て、「ファリサイ派の人々がお言葉を聞いて、躓いたのをご存じですか」と言った。

 イエスはお答えになった。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」

 するとペトロが、「そのたとえを説明してください」と言った。イエスは言われた。「あなたがたも、まだ悟らないのか。すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」<マタイによる福音書15章10〜20 

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
私のもとに来なさい。

 七夕を過ぎました。母が入院中に食堂に七夕飾りがあり、食事の膳に短冊がのせてありました。僕は早速その短冊に、「早く家に戻ることが出来ます様に。」と記したのでした。その2週間後、母は天に召されました。思えばもう7年も前の話です。夕暮れ時、ヒグラシが鳴く時期になりました。母が天に召された日の夕暮れ時にも、ヒグラシが鳴いていた記憶があります。ヒグラシの鳴きは、一日の終わりを告げるようであると共に、僕にとっては母の生涯の終わりを告げるものでもあります。

 

 かつて七夕豪雨と言う大雨がありました。今年も九州地方は豪雨に見舞われています。被災された方も少なくはありません。救出作業も思うようには行かないようです。自然の営みに人は、なす術はありません。せめて思うことは、天気予報を見て天候が回復するようにと祈ることです。天気予報を恨めしく思っても仕方がありません。

 あと半月もすれば梅雨明けとなると思っています。そうすると今度は猛暑の時期になります。今年はどんな夏になるのか、畑の作物を見ながら少しばかり憂いています。

 

 心たけくたゆまざれ 人は変わり世は移れど主は御心なしたまわん

 備えたもう 主の道を 踏みてゆかん 一筋に <讃美歌494

 

 

 生きている限りこの先、どのような事態が待ち受けているか僕たちにはわかりません。将来を憂いて自らの命を絶った知人もいます。しかし、ことがどのような状況にあろうとも神は生きよと言われます。人生は苦です。このことはいつの時代も変わりのないことであると思います。心頭滅却すれば火もまた涼しと言う言葉があります。その時々に身に降りかかる苦を常とする強い心があれば、苦もまた人生の一齣として生きて行くことが出来るような気がします。しかし、それが出来ないのが人と言うものです。それでもなお、生きて行かなければなりません。そんな僕たちを神は、見捨てることはないのです。

 

 聖書の言葉

 すべて重荷を負うて苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。私は柔和で心の謙った者であるから、私のくびきを負うて、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからである。<マタイによる福音書11章28〜30>

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
13年目のブドウ

 光陰矢の如し。今年も半年が過ぎました。この半年、僕は何をしてきたのだろうと思いを馳せますが、何と言ってこれはと思い当たるふしはありません。ただ一方ならぬ神の恩寵により、日々の命を賜ったことは間違いありません。苦の中にあっても、それは僕が思う苦であって、それも神の御旨であると思うのです。神はいつも、どんな状況にあっても、生きよと励まされるのです。その神の思いに反し、日々罪を重ねてきた自らを情けなくなる思いです。残された半年、どのように生きるかを考えさせられます。

 

 

 13年前、鉢植えにしたブドウが今年初めて多くの実を着けてくれました。思えば長い年月です。待つと言う事は忍耐のいることです。時に、実を着けないブドウだからいっそうの事、切り落としてしまおうかと考えたことがあります。それでも、もしかしたら来年には実を着けるかもしれないと思い世話をしてきました。やっと今年その成果が実を結んだのです。何事にも諦めてはならないと思い知らされました。

 家のブドウ棚には、今春にマスカットと、ピオーネの幼木を植えました。先に植えていたデラウェアが枯死してしまったので、その代わりに植えたものです。地植えなので、鉢植えよりも早く育ってくれると思っていますが、これもまた忍耐です。悪い枝は切り落とし、勢いの良い枝を育ててゆくことになります。これからの人生の日々、切り落とされる悪い枝とならないように自らの行いをよく吟味して生きて行きたいと思います。

 

聖書の言葉

 私はまことのブドウの木、私の父は農夫である。私につながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。あなたがたは、私が語った言葉によって既にきよくされている。

 私につながっていなさい。そうすれば、私はあなたがたとつながっていよう。枝がブドウの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたも私につながっていなければ実を結ぶことができない。

 私はブドウの木、あなたがたはその枝である。もし人が私につながっており、また私がその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。私から離れては、あなたがたは何一つできないからである。 <ヨハネによる福音書1515 

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
人歩き

 僕が今、気がかりなのは、畑の作物の生育がいつになく悪いことです。元気がいいのは、ジャガイモとトウモロコシだけです。気象がいつもと違うせいだと思っています。仕事から帰ると先ずすることは、畑に水を撒くことです。梅雨に入ったとはいえ、今のところ空梅雨状況、また5月の降水量も例年の半分以下と言われています。来週からは梅雨らしい日が続くようになるとの天気予報でした。雨が待ち遠しい気分です。

 そんな中で、今年2回目のトウモロコシの種を蒔きました。驚くことに種を蒔いてから、1週間もたたないうちに発芽しました。植物の発芽に必要な物は、温度と水分であると思います。今、2センチほどに育ったトウモロコシを見ながら、生命の不思議さを感じています。1センチにも満たない種から芽が出て、やがては1メートルほどに育ち多くの実をつけるのです。神が定められた自然の摂理です。

 

 

 僕たちは、神を忘れ疎かにし、独り歩きを始めた時から神の定められた摂理に反した生き方をしています。それがもたらしたものは、環境破壊と異常気象であると僕は考えています。生きて行く上での便利さ、快適さを否定するつもりはありません。事実僕もその恩恵に与っているからです。人の欲は留まるところを知りません。今から後の世は、もっと変わってゆくと思います。その中で神に帰れと言う人々が立ち上がるでしょうか。過去も未来も台頭するのは、自己中心で力を持った者、僕のような弱い者は、それに対して否とは言えないのです。

 たった一粒のトウモロコシの種が多くの実を結ぶように、たった一人の人によってこの世が救われました。イエス・キリストです。イエス・キリストは再びこの世に来ると宣言されました。僕はその日を待ちに待っています。

 

聖書の言葉

 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。<ヨハネによる福音書1224

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
敵を愛する。

 梅雨に入ったと言うのに毎日快晴の日々です。来週から半ばから梅雨らしい天候になると言う予報でした。僕の畑は乾ききり、毎日野菜に水を与えなければならない状況です。野菜の育ち具合を見ていると、今年はいつもの年と違います。この夏は猛暑になるとも言われている昨今、やはり異常気象なのかなと思う次第です。

 

 今週は週明けから気分のすぐれない日が続きました。事の次第は、僕の身近にいる女性から、僕の胸を突き刺すような言葉を浴びさせられたことにあります。そのことを引きずっての一週間でした。腹八分と言う言葉があります。これは食べることのことだけではなく、何事にしても二分は残しておき、腹一杯のことを言ったり行ったりしてはならないのです。それが美徳と言うものかもしれません。イエスは弟子であるヨハネを、その性格の激しさから、雷の子と呼びました。この女性は僕にとっては、雷の子です。

 

 

 人にしてもらいたいと思うことは、人にもそのように施しなさい。聖書はこの様に教えています。逆手を取れば、人からされて辛い思いをしたならば、人にはそのようにしてはなりません。と言う事になります。しかし、人は身勝手で人から辛い思いをさせられたとするならば、その人を悪く思い、仕返しさえしようとするのです。目には目を歯には歯を的志向です。この言葉の本来の意味は、報復せよと言うものではありません。僕は人と争うことを好みません。しかし、生きている限り何かしらで人と争う場面が幾度となく訪れるのがこの世の常です。それをいかにして乗り切るかが、僕に与えられた試練であると思うのです。

 

聖書の言葉

 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
 しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」<ルカによる福音書6章31〜36>

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
| 1/40PAGES | >>