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求めるこころ


あ〜 きょうも疲れた。仕事にそして人間関係に・・・。

なにも考えないで、ボッ〜とする時間があっても良いと思います。これも大切な時間。

渇いた心に・・・心の真中にポカッとあいた穴に・・・

それを満たしてくれる何かを僕はずっと求めています。そして捜しています。








物質的に豊かになってなんでも欲しいものが手に入るんですね。このごろは。

でもその反面、人の心は貧しくなり虚しく冷たい風が通り抜けてゆくだけです

ある者は、自らの欲求を満たす為に罪をも犯し、またある者は、財を貯え悠々と暮らすことを悦ぶ。
でも、そんなもののすべてを失った時に手元に残るものってなに?
足元を見たら、後ろを振り向いたら何もなかった。この世の形あるものは全て虚しい。

僕が生まれる前からあるもの、僕と同じ時を過ごしてきたもの、
もしかしたら天地創造の時からあるものかもしれない。僕が捜し求めているものはこれだと思うのです。しかし形も色も大きさも測り知ることが出来ないもの。
これは僕の遺伝子の中に組み込まれていて、心の中に眠っている忘れかけているものを呼び覚ましてくれる大きな力を持って僕に臨みかけているような気がするのです。

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通ずる心
 

115日。一昔前は、成人の日で休日でした。1月も半ばとなり、この寒さも後2ヶ月くらいかと、今年も春の訪れを待ちに待っているこのごろの僕です。春一番に咲くマンサクはまだ枯れ木のようで、まだ遠い春を僕に知らせているようです。しかし冬来たりなば春遠からじと言います。あせらないで待ちましょう。

 さて昨年、同じ神学校卒業の方々とお会いする機会が与えられました。その中のお一人と、たまにお互いのブログにコメントをつけています。彼のブログのリンクには、僕を含め幾名かの人を『同じ旅をする人』と紹介されています。


 僕の心の中には、ずっととげがあるのです。僕は、近況と僕の心のうちを彼のブログにコメントを送りました。そのところ思いもしない返事をいただいたのです。彼もこれから経験するであろう僕の心のとげに、彼の心を重ね祈ってくださる。彼のこの言葉に僕は、思い余りて言葉足りずの心境です。同じ信仰を持つものとして、ここには絆とは異なったものが生まれ出たように思うのです。

 

 
彼の言葉の一節 
「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」
(新約聖書:マタイによる福音書18章19節)
ですから私は、心を一つにして、原先生の祈りに加わろうと思います。
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上を向いて歩こう
 

 昨年の初冬に柿を採り、幾つかを木に残して干し柿を作りました。いつもの年なら残しておいた柿が熟れる頃には、鳥がやって来て食べてしまうのですが、今年は今になってもそのまま残っています。夏にもそうでした。家の片隅にグミの木があるのですが、それも鳥が食べに来た様子はありません。野鳥に何らかの異変が起こっているのではないかと思うのです。




  今日は穏やかに晴れた一日でした。きっと朝の冷え込みは厳しいと思います。礼拝を終わって、遠くの山並みを眺めながら車を運転していました。青い空はなんとも美しいものだとしみじみ心に感じながら。そしてふと、『上を向いて歩こう』の歌が思い浮かんできたのです。♪上を向いて歩こう。涙がこぼれない様に・・・♪ 

 以前のブログに書きましたが、昨年7月に僕は母を亡くしました。そして母のこの先の人生を神に委ね、祝福を祈ったのです。僕の両手の中で息を引き取った母。その悲しみに浸って生きている僕の今の現実です。祈りに涙がついてきます。両親との死別は誰もが経験する現実的な出来事です。だからと言って踏ん切りをつけること出来ないままでいる弱さ、これも僕の姿の一面なのです。

 この悲しみを心に刻みつけながらも、いつかは何でもなかったかのように過ごせる日をきっと迎えることが出来ると確信しています。

 そして更なる希望は、主の再臨と死者の復活です。そして地にある者も全て天に上げられる日。聖書は、死者は天に上げられるのですが、天で再び亡き母、亡き父と会えるとは教えていません。しかし、僕は再び互いに会い見える日が来ることを祈るのです。この祈りが神に届き叶えられる日まで。この希望があるからこそ、明日も生きてゆけるのです。

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礼拝説教予告
僕の次回の礼拝説教は次の通りです。

どなたでもご出席ください。

他の日曜日の礼拝は、担当牧師の説教があります。
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日時   

場所   

説教    

聖書   

賛美歌21 
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日時   2012年1月8日 10時30分〜11時30分

場所   日本キリスト教団付知教会 
           (旧道 秋津バス停近く)

説教      主の道へのいざない   
  
聖書   フィリピの信徒への手紙 3章14〜21

賛美歌   121 217
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  礼拝の奏楽ボランティアを募集しています。
  僕の説教日の奏楽(オルガン演奏)です。
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私達は、神の家族
 

2012年が明けました。今年の世相はどうなるのか。年明けからこんなことを考えてしまいました。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。このところの寒波で、はるか遠くに見える木曽駒ケ岳は真っ白になりました。その地肌が見え始めたら、春はもう近いです。

 今年も神の愛によって、すべての者が微笑みを浮かべて暮らすことが出来るように、祈り願っています。



既に天にある者も、地上にある者も、ユダヤ人も異邦人も、父なる神から出たすべての者が『神の家族』と呼ばれるのです。私達は、神の愛によって堅い絆に結ばれた、神の家族であり、愛する兄弟姉妹です。モーセに率いられ40年近い旅を続け約束の地を目指したのは、共同体と呼ばれる人々の集まりでした。教会も神に率いられる共同体に他なりません。思いを同じゅうし、共に祈り、支えあう力をますます豊かに与えられますように。

神の愛によって結ばれた絆は、決して緩むことはありません。

 ヨハネの手紙の一にこのような御言葉があります。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを閉め出します。」私たちは、ここで愛に満ちておられる主に出会うのです。主が私たちに近づいて、あふれるばかりの愛を注ぎかけ、私たちの生かし、支えておられる。その愛をもって、私たちは、ここから出て行くのです。愛をあふれるばかりにいただき、その愛によって歩む生活をここからはじめていきたいと願います。
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降誕前夜
 

夕方から降り始めた雪が、この時間には2cmくらいの積雪になっています。雪景色は美しくもありますが、寒いのが難です。いつの頃からか僕は、雪景色の美しさは、コタツにあたってテレビで見るのが一番のように思うようになりました。とはいえ、雪の降るこの町から離れることは出来ません。


今日は、クリスマスイブ。降誕前夜です。いまや日本では、クリスマスは国民的行事になりました。そんなクリスマスに一人でいるなんて考えられないと言うのが、今の若者達でしょう。もしあなたが一人でこの夜を過ごし、イエスキリストのことを少しでも心にかけてくれたとしたら、他にはないとてもいい夜を過ごせるはずです。あなたのもとに、神様が来てくださるからです。きっとあなたは、祝福を受けるでしょう。神様とあなたとの時間を大切にすごしてください。





 起きよ、光を放て。

あなたを照らす光は昇り

主の栄光はあなたの上に輝く。 (旧約聖書イザヤ書6012

 

僕が幼かった時、クリスマスも何も訳がわかるはずがなかったと思います。朝起きてみると、妹と僕の枕元に、赤い長靴が置いてありました。もちろん中身はお菓子です。思ってみれば、親心ですね。感謝です。

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過ぎし日よ、なつかしい友よ、
 

年の瀬も迫って、一年のけじめをつけなくてはと思うと、考えるだけで忙しい思いです。

そんな折、以前にNHKで放送していた名曲アルバムを思い出したのです。その中で僕の心に強く印象深く残っているのは、スコットランド民謡“Auid lang syne。日本では蛍の光といいます。

蛍の光は日本では、別れのときに歌われる曲ですが、スコットランドではいろいろな場念で、様々な集会などでよく歌われるそうです。その歌詞の和訳を捜してみました。この歌の背景にはどのようなものがあるのかを知りたくなります。

 


昔の過ぎし日々よ

幼なじみが忘れるわけがない。思い出さずにはいられない。
昔の友達を忘れるはずないじゃないか。過ぎた昔の日々を。
僕の友達、昔の懐かしい日々に乾杯しよう。真心の杯を。
二人で丘を駆け回ったり美しい葡萄をつんだりしたね。
二人で疲れ果てるまで随分歩き回ったこともあったっけ。
ずっと昔のこと。
二人で小川で水遊びしたね。朝日が射すころからお昼まで。
・・・けれども大海が唸りを立てて二人を分けた。ずっと昔に。
さあ、僕の杯に酒を汲んでくれ信ずる友よ。そして君の杯を僕にくれ。
ぐっと一気に呑もう、懐かしい日々のために。
そして君は君の一杯の盃、
そして君は僕の一杯の盃も、
我々は真心の盃を挙げよう、
懐かしい日々のために。

 

きっと強い絆で結ばれた二人の物語なんだろうと思います。前回も書きましたが、今年を表す漢字で選らばれたのは、『絆』でした。美しいい言葉です。

絆と言うものは、心と心のうちに堅く結ばれ一元的なものではなく、人と人との魂をも結び合わせるものではないでしょうか。

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今年を現す漢字『絆』
 

 辺りの風景は、もう冬の訪れを間違いなく僕たちに知らせています。ここから見える恵那山、木曽駒ケ岳は、もう何回か頂に雪をかぶっていました。

厳しく寒い時こそ、人の心の温かさに触れたい。
 今年も後半月ばかりを残すだけになりました。国内を見ても、世界を見ても、来年に希望を持つことはいささか困難な気がします。今年は・・・ 今年も・・・そして今年こそと言った意気込みは遠い昔の話のように思えてきます。

 

 いつものように今年一年を現す漢字が決まりました。今年は『絆』だそうです。人と人との絆は、美しく力強く思えます。信仰者として言うならば、主にあっての兄弟姉妹の絆が時を越えて、地の果てまで広がってゆく事を願いたいです。時間と忍耐の戦いではありましょうが、平和の主が共にいてくださいます。

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心静か


 ケーキを食べて、ゲームで遊んで、カラオケに行って、歌ってお酒を飲んでみんなで楽しむクリスマス。これはこれとして、クリスマスは神の御子、イエスキリストが罪人の救いの為にお生まれになった記念の日です。キリストは、私達罪人のためにこの世に生まれたのです。と語れば、いいえ私は罪など犯していませんと言う人は多くありましょう。しかし神に背を向けること、このことこそが罪なのです。

人は、直接神と向かい合うことに耐えることは出来ません。神と私達の間に仲保者として働かれるのが、神の御子イエスの恵なのです。真の心から神を正しく理解し共に喜び、感謝を捧げたいと思います。神の御心に触れるときに、その愛の大きさがわかります。まさにアメージンググレースです。

 

 
イエスキリストが、人類の救済のためにこの世に遣わされた。このことは聖書の多くの箇所に記されています。

 

『神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。』このように記されています。また他の箇所では、『主はその腕で、力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力のある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた者を良い物で満たし、富める者を空腹のままで追い返されます。』とも記されています。

 アドベントクランツには、二本目の蝋燭に火がともりました。御子イエスキリストを世に遣わされた神の愛の大きさを身に感じ、心静かにクリスマスの日を待ち、共に祝いましょう。
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腰掛の石
 

今日は小春日和の一日、明日も暖かくなるらしいと聞いて嬉しく思っています。今日は本当に久しぶりに(八十日目で)デジカメを持って散歩に出かけました。デジカメを持って行ったのはそれなりの理由があったからです。

 一番近くのバス停から僕の家までは、約300m 程あります。行きはよいよい、帰りは怖いで、バス停から家までは坂道の連続です。そんな坂道の途中に、腰をかけるのに丁度良い石が道側に出っ張っていました。その石の写真を撮りたかったのです。2,3年前まではちゃんとあったのに、今日そこへ行ってみるとその石はなくなっていました。水田の整備工事のときにきっと取り去られてしまったのでしょう。




 買い物の帰りに、米を買いに行った帰りに母は、必ずその腰掛石に座って一休みしていました。母だけではなく、古来何人の人が腰をかけて休んだことかと、過ぎた時間に思いを巡らせて見ました。

 主イエスは、重荷を負うて苦労している者は、私の下に来なさい。あなたがたを休ませてあげようと言われています。かつての腰掛石の存在が、主イエスの言葉と重なって思えるのです。
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