<< July 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

イエスに繋がる

 梅雨明けが少しばかり遅れそうな日和が続いています。陽の光を待ち望みたくなる心持です。この時期は暮らしには少なからず影響を与えますが、なくてはならない時期です。田畑を潤し、作物の生育を促してくれます。僕たちの食に繋がる大切な時期でもあるのです。僕の畑では、スイカが旺盛に生育しています。今年は作付け作物をいつもより減らしています。今はジャガイモの収穫時期になっています。そのほか作付けしたものは、メロン、トマト、キューリです。本格的な野菜の作付けはしませんでした。特に理由はありません。

 

 

 聖書によく出てくる作物は、やはりブドウです。古代イスラエルの人々は、ブドウ酒をよく飲んだようです。また、イエスは自らをブドウの木に例えています。「私はブドウの木、あなた方はその枝である。」このように記されています。ブドウの木は地に根を張り、地から養分を吸収し、その枝葉に養分を送り木を大きく育てます。そのようにブドウの木であるイエスは、その枝葉である僕たちに地の養分として霊的な糧としての神の教えを送り僕たちが神によって日々の命を得るようにとして下さっているのです。今日、命あることの大切さに感謝を捧げなければなりません。また、イエスは語られました。「全世界を手に入れても、その命を損ねたら何の意味があるだろう。」と。新しい週が始まります。僕たちはイエスに繋がる者として、真心から神の御旨に相応しく生きてゆきたいと思います。明日からの日々に平安がありますように。

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
日々の平安

梅雨も終盤に入ったようです。タチアオイの花が先端まで咲き終わると梅雨が明けると知る古老から聞かされた覚えがあります。タチアオイの花ももう少しで先端に至ろうとしています。今週は人との関係に少しばかり疲れた僕です。このことは僕とって珍しいことではありませんが、相手の発した言葉に胸を突かれました。言葉には力があります。時にはよく働き、また時には悪く働き人を刺すのです。このような些細に事に躓いている僕はまだまだ未熟者なのだと思っています。僕は自分の思いをズバリと言う人を羨ましく思うことがあります。しかし、そのことで相手の心に傷をつけてしまう事があるかもしれないと思い、それは出来ません。相手への配慮が必要だと思うのです。ですから僕はおそらく周囲から消極的な人間だと思われていると思います。しかし、それでいいのです。

 

 

「兄弟たち、私たちは互いに愛し合おうではないか。」と言う御言葉があります。ここで言う愛は、無償の愛、顧みを望まない愛です。互いがこの愛によって結ばれたなら、この世のいさかいはないことでしょう。僕たちの信仰はそれを望み、それに向かって歩む信仰です。

人に勝とうなどと思うことは良い傾向とは言えません。神は高ぶる者を退け、謙る者に恵みを給うと言う御言葉が、それを証しています。馬鹿にはされても、人から蔑まされても良いではありませんか。僕たちはキリストを盾として、この世に立ち向かう力があるのです。明日から、また新しい週が始まります。日々、神の御前に祈りを捧げ、世の平安を祈りつつ日一日を重ねてゆきたいと思います。平安がありますように。

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
未来がある

 梅雨の内のつかの間の晴れ間。雲の切れ間から青空が見えました。青空はなんと美しいものかと久しぶりに見る空に感動した一日でした。今年は去年と打って変わって、雨の良く降る梅雨です。雨は人の為に流す神の涙と言った人がいます。古今東西、いつの時代になっても堕落と罪を重ね、神の教えに立ち返ろうとしない罪に満ちた人の世です。そればかりか、神を知ろうともしないのです。そこには神への畏れる心はありません。日々のニュースを見聞きしても、朗報は余りありません。いじめによる自殺、幼児虐待、殺人、詐欺など日々の話題にならない日がないと言っても良いと思います。いじめは学校だけの問題ではありません。社会の中で幅広く行われている現実があります。大人のいじめは殊に陰湿です。職権にものを言わせ、あたかも自らが偉い者のように振る舞い、目下の者を顎で使うようなことは日常です。日本には、古来から美しい文化がありました。それを和の精神と言います。その和の精神も薄れてきています。個人主義、利己主義が蔓延した結果です。このような社会だからこそ、一人でいることに幸せを感じるのです。これは孤立とは意味合いが違います。

 

 

 イエスは、知者の知恵を辱める為に、強者の力を無にするために世に生まれました。そしてその生涯を、名もない人に寄り添い癒しと慰めを与え、終には僕たちの罪の代償として、恥辱に満ちた十字架の上で死を遂げられたのです。しかし、神の力はそれで終わりではありありませんでした。イエスは、3日目に復活され、人類最後の仇である死をもご自身の足の下に置かれたのです。僕たちにはこの世の苦にあっても、未来への約束があります。それは復活と永遠の命を神が約束して下さっていると言うことです。新しい週が始まりました。過去を振り返るのではなく、未来への約束に目を向けて歩みを続けてゆきたいと思います。

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
礼拝説教予告

7の礼拝は次の通りです。


どなたでもご出席ください。

                     
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

日時   7月   7日()19時00分〜 三位一体後第3主日

 

       7月  14日(10時30分〜 三位一体後第4主日 

 

     7月  21日()19時00分〜 三位一体後第5主日

 

       7月  28日()10時30分〜 三位一体後第6主日

 

                

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

      

      

      

            

             

      
    

 

 

 

 

 




 

| comments(0) | trackbacks(0) | 礼拝説教予告 |

 今日は梅雨らしい一日でした。この先も、梅雨空が続く天気予報です。本州ではこのような中、沖縄地方は梅雨明けです。本州もあと半月ほどで、梅雨明けとなることでしょう。異常気象と言われる昨今、春夏秋冬の穏やかな気候が続いてほしいものだと思います。異常気象の根源は、人の関与を避けて通れません。これ以上の異変を起こさないためには、多少の不便を強いられても仕方がないと思います。それは、次の世代を生きる者への贈り物です。

 

 

 

文明の利器と言われるものが数多く出現し、僕たちの生活は豊かなになってきました。しかし、その反面、心は貧しくなっているのです。個人主義者が多くなり、昔あった和の精神が希薄になって来ています。個人主義は自らに責任を負うことを自覚している者です。しかし、利己主義者も多くなってきているように思います。利己主義は自己中心ですから、自らに責任を負うことはありません。人に迷惑をかけなければ良いと言うことでは済まされないのです。そして自己中心は神への背信行為です。僕たちの生活は、神が中心でなければなりません。神から日ごとの糧を賜り、命を与えられるのです。僕たちの全てのことにおいて夜も昼も、神が関与されているのです。そして何事にも神に感謝を捧げる生活が求められています。イエスが教えられた二つの掟を常に心に刻み日を重ねる時、平安が与えられると思います。この思いをもって新しい週を迎えたいと思います。

 

イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』  これが最も重要な第一の掟である。  第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』  律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。<マタイによる福音書 22:37-40

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
君は谷の百合、明日の星

 早や6月も下旬になりました。半年が過ぎようとしています。待つことには忍耐がいりますが、過ぎゆく日々は余りにも早いように感じます。今年も教会の裏に、ササユリが花を咲かせ芳しい香りを放っています。葉が笹に似ていることからこの名がついたと言われています。僕が幼少の頃には、家の周りにいくらでも生育していましたが、今では余り目にすることはありません。絶滅危惧種なのかもしれません。僕は4年前に、このササユリから種を採り、プランターに蒔きました。発芽するまでには2年かかります。それから花をつけるに至るまでには6年の年月を要する気が遠くなるような花です。

 

 

 聖書に出てくる植物の名前は限られていますが、ユリの名は出てきません。ただ、福音書の記事に、「野の鳥を見よ。野の花を見よ。」と記されている花とはユリの花であると言われています。僕たちは、ササユリが長い年月をかけなければ花をつけないように、長い年月をかけながら、実を結ぶために命を与えられています。結ぶ実は、人によって異なります。それは、聖霊の実とも言われるものです。新約聖書のガラテヤの信徒への手紙には「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」と書かれています。聖霊の実は、聖霊がクリスチャンの生活の中におられることの結果です。聖書は、誰でもイエス・キリストを信じた瞬間にすべての人が聖霊を受けることをはっきり示しています。聖霊がクリスチャンの生活の中に入ってこられることの第一の目的は、その人の生活を変えることです。私たちをキリストの形に従わせて、もっとキリストに似たものにすることが聖霊の仕事です。明日から始まるい週間、実を結ぶための一歩を踏み出しましょう。この一週間に祝福がありますように。

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
神に従う

梅雨空には、紫露草の花がよく似合っているように思います。紫陽花は言うまでもありません。当地も既に梅雨に入りました。梅雨明けは、一月後かと思っています。キリスト教を知らない方であっても、ノアの箱舟の話を知っている方は少なくないと思います。世が乱れ、悪が地上に満ちたことを嘆かれた神は、その中方神はノアを神の御前に唯一正しい人と認め、ノアに箱舟を作らせ、神が造られた地上のあらゆる生き物をひとつがい箱舟に乗せるよう命じられました。雨は4040夜降り続け、地上のあらゆるものを滅ぼされたのです。雨が止んだのを確認したノアは、ハトを放ちました。ハトはすぐにノアの下に戻ってきました。7日後、再びハトを放ちました。そうしたところ、ハトはオリブの葉を咥えてノアの下に戻ってきたのです。地上に植物が再生されたことをノアは察しました。ところがノアは、まだ箱舟から出ようとはしませんでした。更にもう一度、ノアはハトを放ちました。今回は、ハトはノアの下には戻ってくることはありませんでした。しかし、ここでもノアは、箱舟から出ようとはしませんでした。ノアは、神からの言葉を待っていたのです。自らの判断ではなく、神の御言葉に堅く従うのがノアなのです。

 

 

神はノアに語られました。「さあ、あなたもあなたの妻も、息子も娘も、皆一緒に箱舟から出なさい。・・・・」この後、ノアは祭壇を築き、全焼の生贄を祭壇に捧げました。神は宥めの香りを嗅いで御心に誓われました。「人に対して大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ。私は、このたびしたように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。地の続く限り、種まきも刈り入れも、寒さも暑さも、昼も夜もやむことはない。」このノアの箱舟の出来事から何千年の時を経たことでしょうか。神の御誓いは破られることはありません。それどころか神は、神の独り子であるイエス・キリストをこの世に送り、イエスを信じる者が誰一人として滅びることなく、永遠の命を得るようにとして下さったのです。神は罪ある僕たちの罪を赦し、忍耐しておられます。

 

新しい週が始まりました。神を思い、神の御言葉、神の御心に沿う人生の旅路を歩んでゆきたいと思います。

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
罪を認める

 家の片隅に植えてある栂の木に、モズが営巣し5日程前に巣立ってゆきました。孵化した雛に餌を運ぶ親鳥の姿を見ていると、自分自身の餌を獲る暇があるのかと思うほどに頻繁でした。親が子を独り立ちできるまで、きちんと育てる、子の姿に僕たち人は学ばなければならないと思った次第です。親が子を育てること、これは生きる者が持った本能です。っそして子に対する愛がなければできません。マスコミが伝える幼児虐待の話題は後を絶ちません。最近も2歳ほどの幼児が、虐待により命を落としました。胸の痛む事件です。聖書は、子供に辛く当たってはならないと教えています。心がいじけるからです。僕が思うには、歴史が繰り返すように、幼児虐待をする人は、自らも親から虐待を受けていたと言うことです。このようにして亡くなった子供を弔う前に、篤い愛情を以て育てることが何にも勝る道です。

 

 

 

 子供を持とうとするならば、親となる覚悟を決めてかからなければなりません。希望しない子供を持つ親などあってはなりません。自らが幼少の時、親から受けた愛を思い起こし、親としての責任を全うしなければならないのです。僕たち人よりはるかに劣る動物さえそのようにしているのです。その面では、自然に学ぶことが数限りなくあります。神が創造されたもののうち、神に背を向けたものは人だけです。ここに罪の原点があります。今一度、自らが罪人であることを覚えつつ、罪の赦しを請い願い新しい週を迎えたいと思います。

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
信仰の原点

 梅雨も間近に迫ったこの頃、晴天を有効に使いたいと思います。何年前にかホームセンターの店頭に、見切り品で売られていたツルバラの苗を買いました。所詮、見切り品と思って買ったツルバラが今年は見事な花を咲かせ目を楽しませてくれています。次々と時期の花を咲かせるこの時期、花は人の心を和ませてくれる力を秘めているようです。また、時には哀悼の意を表すために用いられるのも花が多いものです。

 

 

 川崎で起こった無残な事件には言葉がありません。将来ある二人の命が奪われました。そして犯人も自殺。死人に口なしと言いますが、まさにその通りで今後の捜査で真相が判るかどうか疑問です。限りなく事実に近い真相にまでは至るとは思います。目には目を歯には歯をと言う旧約聖書の言葉があります。そして死には死を以て報いなければなりません。これは報復しなければならないと言うことではなく、借りたものは、その同等の分を返さなければならないと言う意味です。古今東西を問わず、人の歴史は神に背くことの継続の様です。これは将来に亘って変わらないと思います。神が人を造られた意味はなんであったかを思い起こし、信仰の原点に返りたいと思います。明日からの新しい週が、祝福されますように。

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
立ち返れ

 気候は既に初夏の趣です。しかし、木陰に入ると風が通り抜け、まさに緑のそよ風に爽やかさを感じています。僕は不思議に思うことがあります。と言うのは、どうしてこの時期に運動会を行うのかと言うことです。僕の幼少の頃は、運動会と言えば秋の行事でした。暑さが増してゆくこの時期に、どうして…。熱中症で倒れる子供もあとを絶ちません。見直すべきではなかろうかと思います。夜も過ごしやすくなってきたので、外に出て星空を見上げる日が多くなってきました。天空に瞬く星々の光の美しさに心を奪われます。この光景は、神が天地を創造された時以来、おそらく変わっていないのだろうと永遠の昔に思いを馳せます。

 

 

 神は大きな光に昼をつかさどらせ、小さな光に夜をつかさどらせられました。更に夜には、暗黒の中で人が恐怖に襲われないようにと、星を天に置かれました。神の人に対する愛が語られる創世記の一編です。そのような神の愛の内に日々の命と恵みを賜りながらも、僕たち人は、日々罪を重ね罪過を大きくしています。罪とは、神に背を向けること、自己中心になることです。主なる神を主とせず、自らを主とすることが少なからずあります。これは誰も否定することはできません。そのようは僕たちをも神は忍耐を以て愛し続けていて下さいます。そして言われます。「立ち返れ」と。日々、自らがなす行いを吟味し、神に愛されていることを確信する時を過ごしたいと思います。このことを心に留め、新しい週を迎えたいと思います。

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
| 1/50PAGES | >>