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決別

 あの酷暑は何であったろうかと思う爽やかな日で週末を迎えました。ところどころ、またこの暑さの背面では秋の気配が感じられます。夜鳴く虫の声も少しづつながら多くなってきているように思います。ぼ〜っと生きていても時は刻々と刻まれて行きます。時の変化に敏感になり、神を愛し隣人と自然を慈しみ、感性豊かに暮らしたいと思います。

 今日、818日は、飛騨川バス転落事故から50年目にあたるそうです。当時僕は7歳でした。しかし、今でもテレビニュースのこの事故の報道をよく覚えています。事故が起きた個所から少しばかり下流の国道41号線の道沿いには、天心白菊の塔と言う慰霊碑があります。当時、首相であった佐藤栄作氏の碑文が刻まれています。僕の上司であった方の友人もこの事故に巻き込まれ亡くなったそうです。上司であった方は、亡くなった友達に遊ぶ約束をしようと話をしたそうです。ところが、この旅行に行くため遊べないと言う返事があり、上司であった方は、「お前みたいな者は、死んじゃえばいいんだ!」と言ったとのこと。その後、この事故で友達は亡くなりました。現実となった自らの言葉をどれほど悔やんだか判らないと話してくれました。言葉には気を付けなければなりません。いくら腹が立つ相手であっても、めいっぱいの言葉をぶつけないに越したことはありません。それによって相手もまた逆上するに違いないからです。人との付き合いは、心穏やかに互いに尊厳を保ちつつ過ごしたいものです。

 

 

 

 この夏、僕も一人の友人を無くしました。金銭貸借が原因です。35年の付き合いに終焉が来たのでした。僕はこの問題を解決するために、友人を裁判所へ訴えたのです。これよりほか、解決の道はないと判断したからです。神学校での講義の中で、学長は常々、異性とお金にはくれぐれも気を付けるようにと繰り返し語られていました。世の中の誘惑は、やはり異性とお金ではないでしょうか。このことによって引き起こされる事件は限りのない現代です。誘惑は僕たちがその罠にはまるのを待っています。常に身を正し、神を仰ぎ見ながら人に仕える人生でありたいと思います。

 

聖書の言葉

人を裁くな。あなた方も裁かれないようにするためである。あなた方は、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。<マタイによる福音書712

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平和を思う

 夕暮れが早くなってきました。振り返れば立秋を過ぎています。この酷暑の中にあっても秋の気配がその背面で動き始めているのかもしれません。今日は宵になって雨が降り始めました。明日の天気予報も高い確率で雨です。僕の畑は乾ききっています。恵みの雨となるとよいのですが。時は巡り巡ります。あの戦争の時代にもサルスベリが花を咲かせていたのかと思いを馳せます。しかし心穏やかに花を愛でるような時代ではなかったことと思います。8月は平和について考えさせられる月です。広島、長崎への原子爆弾の投下、そして終戦。815日を敗戦の日と言う考えを持つ人も少なからずいますが、僕は終戦でよいと思います。僕は戦争を知らない時代のひとりですが、あの惨状を勝ち負けで表現することには抵抗があります。

 

 

 僕の伯父は憲兵であったため、本国に引き揚げた時も船から降りることを許されず、そのまま巣鴨プリズンに送られました。裁判では運よく無罪とされました。同僚には再度南方へ送還された人も多くあったそうです。C級戦犯とされた伯父は、公職追放令により職業の選択もままならなかったと言っていました。戦中は憲兵、一夜明ければ戦犯です。世の中の価値観が180度変わったのです。敵のスパイと言われていた牧師の子供が、英雄にとって変わったと記した記事を新聞で読んだ記憶があります。戦争は聞くだけで十分です。しかし今の世が平和であるかと言えば、決してそうではありません。世界に目を向ければ民族紛争、無差別殺人、テロが各地で絶えない状況です。その被害者は、何の罪もない人々です。パレスチナ問題などは永遠に解決の道は開けないと思います。核開発を続ける国も少なくはありません。人はどこまで平和を望み、またどこまで残虐であるのでしょうか。

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心遣い

 家に帰ると蒸し風呂のような暑さです。この暑さはいつまで続くのかと思い、雨が恋しいこの頃です。夜は外に出て、星空を眺めることが多くなりました。ひときわ輝く火星の光に旧約聖書に記された天地創造の記事を思い起こします。また、新約聖書に記されたイエスが誕生した時、イエスを拝むためにイエスの下へと旅をした東方の三人の博士たちもこのような星の光に導かれたのかとイエスの降誕物語を火星に放つ光に重ねてみています。僕の街は、何もない街ですが星空だけは美しいと街です。

 壮大な天空の広がりに比べ、人の人生はなんと儚いものだろうと思います。朝咲いて夕には萎んでしまう花を、生け花の世界では、一日花と言います。その一日にひときわ美しく花を咲かせ、夕には萎んで落ちてしまう。人の人生もそのようなものです。僕の生け花の師匠がよく言っていました。「家を訪ねて行って、一日花がいけてあったら、それはあなたの為に行けた花なのですよ。」僕が営業の職にあった時、この言葉をよく思い起こしたものです。

約束の日時に事務所を訪問すると、香が焚いてありました。そして小さな小瓶に、花一輪、葉一枚の生け花がテーブルの上に何げなく置いてあるところがありました。最低の物で最高のもてなしです。いつも商談が終わるとその結果はどうあれ、気分を良くして帰ったものです。日本人ならではの心遣いではないでしょうか。そのような日本人の美しい心もだんだんと薄れているようです。来週は来客が数多くあります。そんな心遣いに配慮しながら生きてみようと思います。

 

 

聖書の言葉

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。<マタイによる福音書62531

  

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霊的な糧

 この週末は、台風の動きが非常に気になります。西日本の被災された地域の方々は尚更のことだと思います。天の法則は、人知の及ぶところではありません。無事に通り過ぎてくれることを祈るばかりです。そして今や夏本番となりました。ミンミンゼミの鳴く音が暑さをかきたてているようです。僕の畑では、5月に定植したスイカが、実を着け目下成長中です。スイカがなければ夏ではないと言わんばかりの僕にとって、収穫の日が待ち遠しい思いです。昨年もスイカを栽培しましたが、生育不足で何の収穫もありませんでした。今年こそはと、思いも新たに植え付けました。植え付け初期の頃は生育が悪く、また今年も不作なのだろうかと心配していましたが、遅れながらに成長しました。畑でとれた新鮮なものを、収穫して味あうことが出来ることは最高の喜びです。食は命の原点です。僕たちが生きてゆくためには、命を温存するためには、二つのものが必要です。その一つは、目に見える糧としての食糧です。そしてもう一つは、神から与えられる霊的な糧です。このどちらも欠けては完全に生きていると言うことは出来ません。食料としての糧は、店に行き代価を支払えば自分のものとして得ることが出来ます。僕たちは、神が給う霊的な糧を求め、与えられることを祈りつつ信仰の歩みを進めてゆきたいと思います。明日からの新しい週が、祝福されますように。

 

 

 

聖書の言葉

わたしたちに必要な糧を今日与えてください。<マタイによる福音書611

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猛暑見舞い

このとことろの暑さにも少しばかり体が慣れてきたように思う僕です。しかし、現実は、毎日の様に熱中症にかかり救急搬送されたり、命を落とした方々も少なくはありません。ましてや、西日本の豪雨に見舞われ、避難所で生活しなければ実の寄せ場がない方々の苦労を思うと胸が痛みます。暑中見舞いも、やがては猛暑見舞いに代わる時代が来るのかもしれません。天気予報によると、この先も猛暑日が続くとのこと。熱中症に気を付けて水分、塩分を十分に補給し過ごしてゆきたいと思います。庭先には真夏の花、フシグロセンノウが花を咲かせました。真に夏を感じています。せめてアサガオやホウセンカの花を見て、少しばかりの涼しさを楽しみたいと思います。

 8年前に母を亡くし8年前の今日は、母の前夜式の日でした。今でもその時の光景を思い起こすことがあります。西日本の豪雨により、突然にして身内を亡くされた方々を思うと言葉がありません。主の慰めがご遺族の方々にありますように。

 

 

聖書の言葉

太陽の下、人は苦労するがすべての苦労も何になろう。一代過ぎればまた一代が起こり、永遠に耐えるのは大地。日は昇り、日は沈み、喘ぎ戻りまた昇る。<コヘレトの言葉134

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主の支えを覚える

 日増しにヒグラシの鳴く声が増してきたこの頃です。当地方も梅雨明けとなり、サルスベリの花が咲き始めました。いよいよ本格的な夏の訪れです。子供の頃、この時期になると町では盆踊りが始まり、僕の母は、近所の子供を引き連れて踊りに出かけたものです。思うに母は、若き日には労働運動に参加したりしていました。メーデーの話をよく聞かせてもらったものです。つまり、お祭り好きな性格だったのかもしれません。その母も天に召されて8年目を迎えます。母が天に召された日にも、そぼ降る雨の中、ヒグラシが鳴いていました。ヒグラシの鳴く音は、物悲しいものがあります。

 

 

 今年も折り返しの7月。年が明けてから何と言って変わらない生活の僕です。この先もおそらくそうだと思います。しかし、神への感謝を忘れることはありません。今日、一日も恵みを賜ったこと。守りの内にあったこと。一日の糧を与えられたこと、それによって命をつなぐことが出来たことへの感謝と、罪の赦しの願いです。そして静かな夜を迎え、暖かな布団に身を休めることへの感謝です。日々の暮らしは、あたかも自らの力によって営み、生きている様な思いになります。これが当然と言えばそうかもしれません。しかし、背後には、神の支えがあるのです。自分が主役ではなく、背後で働いていてくださる神が主役なのです。これを取り違えると、神への背信行為、つまり罪になり得るのです。

 明日から始まる新しい週に、主の祝福がありますように。主の光に照らされて、主から賜る恵みの内を歩まれますように。

 

聖書の言葉

しかし、ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られている。そのときは昼もなければ、夜もなく夕べになっても光がある。<ゼカリア書147

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ノアの箱舟

 

 このところの雨は、過去にない被害を及ぼしているとマスコミは報道しています。幸いにも僕の町は何の被害もなく、梅雨ならではの日々が続いています。僕は学生時代の体育の時間に鉄棒から墜落し頭部を打撲しました。それから後、今に至るまで雨の降る前には頭痛に見舞われるようになりました。今夜も頭痛がしています。明日も雨模様の様です。僕はこの気象変動を見て、創世記に記されたノアの箱舟の記事を思い起こしました。神は悪と堕落に満ちた、神自らが創造された人を地上から排除するため、その時神の前に正しい人であったノアの家族を選びノアに箱舟を造らせます。それが完成したのち、4040夜、地上に雨をもたらせたのです。因みに聖書に記されている40と言う数字は、神の試練を表すものです。この度の豪雨も、神を神としない人類に対しての神の警告であるのかもしれません。しかし神は、何の罪もない人に罰をあたえられる方ではありません。被災された方々には、お見舞いを申し上げます。また、この時期に日本に観光に来られた外国の方々は、ひどい時期に訪れたものだと思われていることだと思います。僕たちの信じる神は、試練の後には必ず回復を与えてくださいます。被災された町、人々が一日も早く復興されることを祈ります。

 

 

 

聖書の言葉

神はノアと彼の息子たちに言われた。「わたしは、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱舟から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。わたしがあなたたちと契約を立てたならば、二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく、洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」更に神は言われた。「あなたたちならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、代々とこしえにわたしが立てる契約のしるしはこれである。すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を湧き起こらせ、雲の中に虹が現れると、わたしは、わたしとあなたたちならびにすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものをすべて滅ぼすことは決してない。雲の中に虹が現れると、わたしはそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべて肉なるものとの間に立てた永遠の契約に心を留める。」神はノアに言われた。「これが、わたしと地上のすべて肉なるものとの間に立てた契約のしるしである。」<創世記9917

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恵みを給う日々

 光陰矢の如し、早や今年も半年が過ぎました。関東甲信越では梅雨明け。いよいよ夏本番の訪れです。日没が随分遅くなったので、夕方、帰宅後には縁側のベンチに腰を掛けて、何と言って考えることもなく、庭先に咲いた花を心ゆくまで見るのがこの頃の日課になっている僕です。今日も無事に終わり家路に着くことが出来たことへの感謝を捧げています。これが当たり前と言えばそれまでの話ですが、僕は深い神の恵みと守りがあることを感じています。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさいと聖書は教えています。ごく普通に考えれば、いつも喜んでいられるはずはあり得ません。この思いは、自らの表面的なことだけを見ているからです。仕事に追われ、この暑い中で一日働いて、その上疲れて、このようなことの繰り返しの中で、どうして喜べるのだと思うのが当然のことです。しかし、その背面にある神の御業を見る時、これらの思いは消え失せ、喜びへと変わるのです。朝日を昇らせ、新しい朝が始まります。そして一日の糧を与えられ、それによって今日の命をつなぐことが出来ます。夜は憩いの時です。神は、暗黒の夜空に星を散りばめ、僕たちに明日への希望を与えてくださいます。そして暖かな布団に身を横たえ休む時間を与えてくださるのです。この恵みに与らない人はありません。神に背を向けている人生においては、このような思いは湧き出ずることはないと思います。僕たちの人生は、常に喜びが伴うのです。喜ぶことを忘れているのです。今日も静かな夜を迎えました。今日も静寂な夜の中で、神への感謝を捧げたいと思います。明日から7月、きりがよく日曜日から始まります。明日から始まる新しい週に神の御業を受け止めながら、日々を重ねて行きたと思います。

 

 

聖書の言葉

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。<テサロニケの信徒への手紙第一51618

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悠久の時

 この先1週間は、どうも梅雨らしい天候になる予報でした。僕の家の裏にこの時期の花、ササユリが咲き、芳しい香りを放っています。僕が子供のころには、山に行けばどこにでも見ることが出来たササユリです。しかし近年では、数が減少し希少種となってしまったようです。もしかしたら絶滅危惧種かも知れません。僕はササユリの種を採り、プランターに蒔いて育てていますが、花をつけるのはまだまだ先のこと、芽が出てから花が咲くまでに、おおよそ10年はかかると聞いています。野生の植物には美しいものが少な時からずありますが、その中でもササユリは、その最たるものだと思っています。因みにササユリの語源は、その葉が、ササの葉に似ているからです。

 

 

 

 今年も春夏秋冬の営みの中で、梅雨の時期をむかえました。これは、神が天地創造をされた時から変わりなく続いてきたものです。悠久の時の流れに思いを馳せます。その時の流れの中で、僕たちの地上での人生は本の一齣でしかありません。しかし僕たちには、神が約束された死からの復活と永遠の命が約束されているのです。ですから僕たちは、何があっても天を見上げ落胆しません。この世の憂い悩み、そして苦しみは、そのあとに約束されたものに比べれば、些細なことだからです。神から与えられた今この時、そして明日を望み流れ生きるのです。時間とは、漢字では、時の間と書きます。その時とは、刻々と刻まれる時計の時ではなく、天地創造の時から始まる時であり、神の国の完成の時までです。その悠久の時の間に僕たちの人生はあるのです。また始まる新しい週に感謝ををもって生きてゆきたいと思います。

 

聖書の言葉

あなたがたのうち、だれが思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の花でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。<マタイによる福音書62730節>

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愛に生きる

 今年もアマリリスが咲き、目を楽しませてくれています。僕の育てているアマリリスは、僕が浜松市に住んでいたころ、勤務していた会社の社宅に植えてあったものを、持ち帰ったものです。おそらく50年は経っていると思います。その間、世代交代を繰り返し今まで命を温存していると思うと、その生命力の強さには驚くべきものがあります。今の時代、様々な色彩の種類のアマリリスがあります。このアマリリスが植えられたころには、このタイプの花が流行っていたのかと永遠の昔に思いを馳せます。植物の生命力には驚くものがあると思う反面、今の時代、環境の変化からか、乱開発からか絶滅して行く植物も少なからずあります。ササユリ、オミナエシ、キキョウ、マツムシソウなど僕が幼かった頃、野辺でいくらでも見ることが出来た植物が今は滅多に見ることが出来ません。神が創造されたものが、人の手によって絶滅しているのです。命を保つことはなんと難しいことでしょうか。野の物は、地の法則によって命を温存します。しかし、園芸種は、人が手を施してやらないと枯死してしまいます。いかに愛着をもって育てるかが問われることになります。

 

 

 昨今、5歳の女の子が親の虐待により命を落としました。胸が痛む思いです。照明もない部屋に閉じ込められ、朝早くからひらがなを書く練習をしていたとか。その女の子が書き残したものには、「ゆるしてください。ごめんなさい。」と記されていたそうです。この両親は、親になる資格のない者だったと言うほかありません。子は、親の愛情を受け育まなければなりません。おそらくこの両親の生い立ちは良くはなかったのだと察することが出来ます。聖書は、「父たるものよ。子につらく当たってはならない。心がいじけるからである。」と教えています。天地を想像され、また人を造られた神は、全ての者に愛を注がれています。その愛を受け取ったものが、信仰へと導かれます。神が給う愛と慈しみの内を歩む者は、隣人に対しても、そのようにすることが出来ます。同じ人としてこの世に生を受けた者同士、互いに愛と尊厳とを以て生きて行きたいと思います。

 

聖書の言葉

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうち誰が、思い悩んだからと言って、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それは皆、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものが皆あなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは皆加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」<マタイによる福音書62434

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