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大いなる恵み

 早くもロウバイの咲く時期になりました。時折漂う芳しいロウバイの香りに、この寒さの中にあっても何か優しいものを感じています。今年もあと2週間ほどを残すだけになりました。今年一年を振り返る時、様々な出来事がありましたが、決して良いことばかりではありませんでした。しかし、その時々に神から賜った恵みを感じぜずにはいられません。日々、罪意識の中にあっても、それを赦して下さる神の恵みを受け、その赦しの中に命を繋ぐことが出来たことは何にも勝る神の愛です。もし罪が赦されないとしたら、牧師と言う立場から、神の裁きは何にもまして大きなものがあると思います。

 

 

 祈りが叶わないこともあります。しかしそれも神の恵みです。神は必要な分を必要なだけ与えてくださる方だからです。聖書は、「私の恵みはあなたに十分である」と教えています。神への感謝を思い起こせば、言葉が足りません。まもなくクリスマスを迎えます。この出来事は、個人にではなく人類にとって神からの最高の恵みです。クリスマスをうかれて喜ぶのではなく、クリスマスのまことの意味をとらえつつ、心静かにクリスマスを迎えたいと思います。

 

聖書の言葉

神は、独り子を世に遣わすほどにこの世を愛された。それは、御子を信じる者がひとりとして滅びることなく、永遠の命を得るためである。<ヨハネによる福音書317

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儲かる話

 今日はいささか寒い一日。これでも去年よりは暖かく思っています。思い返せば去年の今頃は、ヒートテックを着用していました。暖冬と言われる今年の長期予報は、信頼に値するかもしれません。アドベントに入り2週目を迎える明日、アドベントクランツのロウソクに二本目の火が灯ります。クリスマスももう目の前です。僕は週刊誌を読むことは滅多にありませんが、書店でつい立ち読みをしてしまいました。気を引いた記事は、タイランドに貯蓄をして満期になったので、バンコク銀行から送金をしてもらう手続きをしてもらった人の話です。満期の金額は日本円で500万円。しかし、送金してもらうための手数料が450万円かかったとの記事でした。バンコク銀行は明日送金すると約束すると、その当日になると為替の変動などの理由により、追加金を入金しなければ送金しないと言われ、言われるがままに送金したそうで、このようなことが何度も繰り返され、時には優先的に送金するために、銀行職員への賄賂の要求をされたそうです。その結果、450万円ものお金をバンコク銀行に支払う結果となったそうです。日本の銀行では到底考えられない話です。

 

 

 

この世にそうそう儲かる話などありません。僕の信念は、地道に自分の力で働いて報酬を得ることです。投資、株など僕には縁のない話です。時として、このような内容の電話がかかってきますが、きっぱりと断ります。あいまいな返事をすると相手の思う壺です。お金には他に代えがたい魅力があります。しかし、お金を追い求めると必ずお金に追われることになります。儲かる話には裏があることを知るべきだと思います。神は、必要な分を必要なだけ与えてくださいます。神から与えられた分に感謝を捧げ、その分に満足する心が与えられることを祈っています。

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与えられることへの感謝

 今週の日曜日は、収穫感謝祭でした。本日は、今週の説教の要旨を記したいと思います。

 

今年も神に守られ、生かされていることを感謝します。日ごとの糧、聖日礼拝の御言葉を通して私たちのうちに、働いてくださった神の御名を賛美します。
今日は収穫感謝礼拝を捧げますが、この礼拝は400年前から捧げられていました。400年ほど前のイギリスの清教徒たちは、国内の宗教的圧迫に抵抗し、自由を求めてオランダに逃れました。更に、1620916日、メイフラワー号に乗って新天地を求めて出発しました。一行は、こどもを含めて102人でした。そして彼らは、信仰の自由を求める情熱に燃えていました。彼らは大西洋を渡り、12月にアメリカに上陸しました。しかし、その冬には、飢えと寒さで約半数の人が死にました。やがて春になり、彼らは先住民の人に助けられて、土を耕し、野菜の種をまき、その秋には、豊かな実りが与えられたのです。彼らは助けてもらった先住民の人たちを招いて、神に感謝の礼拝を捧げました。これが、最初の収穫感謝礼拝です。
 このことを記念して、アメリカでは1864年、リンカーン大統領の時に11月の第4木曜日を法定の祝日と定め、収穫感謝祭を行っています。今日では、アメリカばかりでなく、全世界の国々がこの感謝祭の習慣を守るようになりました。今日がまさにその収穫感謝礼拝の日です。ですから、神の恵みの中で生かされていることに、深く感謝する心でこの感謝礼拝を捧げたいと思います。

 

 

祈祷

 天の父、今日は御前に収穫感謝礼拝を捧げることを赦され感謝いたします。あなたは私たちに必要なものを何一つ欠くことなくお与えくださいます。しかしながら私たちの心は、あなたの恵みに物足りなさを感じる愚かなものです。また、与えられた物を自らが勝ち取ったように誇る心もあります。憐れんでください。日々、新しく造り替えられている私たちは、御子イエスに賛美と感謝を捧げます。この心をいまわの時まで持ち続けることが出来るように導きを与えてください。御子イエスの力ある御業が私たちの上にありますように祈ります。

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救い主を待ち望む

 木枯らしの風に木の葉も舞い落ち、まるで枯れ木のようになってしまった木々の山並みを眺めながら、枯れ木も山の賑わいと言う言葉を思い起こしました。しかし、落ちた葉の部分には、来春に芽吹く用意が出来ています。生命の不思議、生きていることの不思議に思いを馳せます。ひと月後にはクリスマスを迎えます。明日の日曜日が教会暦での最後の週になり、今年は122日から教会の新年である降臨節に入ります。イエス・キリストの降誕を迎えるための準備の期間です。世間はクリスマス商戦に巻き込まれ、猫も杓子もクリスマス一色に染まる時期の始まりです。教会はイエス・キリストが人類の救済のために、天の父がこの世に遣わされたことを深く心に刻み、救い主としてのイエス・キリストの降誕を祝うのです。僕のクリスマスの思い出は、僕がまだキリストを知らない幼少の頃、朝目覚めたら枕元に、お菓子の入った赤い色の紙でできた長靴が置いてありました。僕の両親は、キリスト者ではありませんが、クリスマスを知ってか子供への愛情を感じます。その頃の僕は、クリスマスが何なのか等と言うことは知らなかったと思います。ただ、お菓子を貰えたことで喜びに浸っていたと思うのです。もう50年以上も前の話です。

 

 

 晩秋と初冬の間の中で、ホームセンターには冬を彩る様々な草花の苗が売られています。冬来たりなば春遠からじと言います。今年の冬は、エルニーニョ現象の影響を受けて暖冬になるとの長期予報が出ています。しかしながら、冬の寒さが身に感じるほど暖かいことはありません。僕が一番苦手な冬の到来ですが、これも天地創造の時から定められたものです。喜びの復活祭の時期には、本格的な春になっています。その時まで、忍耐と感謝を以て過ごしてゆきたいと思います。

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救いあり

 庭先のビワの花が芳しい香りを放っています。地味な花ですが、香りは何か懐かし昔を思い出すような気がしています。今開花しても収穫できるのは来年の6月ごろです。気が遠くなるような日々を重ね、日一日と成長していることを思うと生きていることの不思議に行き着きます。多くの生き物たちが眠りにつくこの冬に、たくましく生きている生き物がいるのです。自然の摂理は測りがたいものがあります。それは神が創造されたものだからです。

神の恵みは、草や木にまで及びます。自然のものが神の定めた摂理に沿って神の栄光を顕しているのに、どうして人だけが罪に染まってしまったのでしょうか。そのような人をも神は見捨てることなく、救いをもたらせて下さいました。それがクリスマスの出来事です。神は独り子を世に遣わすほどに世を愛されました。それは、御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を得るためであると聖書は教えています。商戦に乗せられたお祭り騒ぎのクリスマスではなく、まことのクリスマスの意味を深く胸に刻みたいと思います。

 

 

聖書の言葉

神は、実に、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は神の独り子の御名を信じなかったので、すでに裁かれている。<ヨハネによる福音書1618

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国から逃れる

 サザンカの花が美しく咲く時期になりました。寂しくなりつつなって行く晩秋に彩を添えています。週明けに僕は誕生日を迎えます。僕の生まれた年にもこのようにサザンカが咲いていたのかと遠い昔に思いを馳せます。今、僕が気になることは、グアテマラからアメリカを目指して徒歩で向かっている6000人にも及ぶ人々のことです。その中には、幼子を連れている方もいました。アメリカ側は、受け入れを拒否しています。現実的な話、夢を抱いてアメリカに向かっても、アメリカは彼らの思いに応えてくれることはないだろうと言うことです。それは日本人も言えることだと思います。400年前、イギリスの清教徒の人々は、宗教的弾圧を受け、国から逃れるためオランダに向かい、更にメイフラワー号に乗ってアメリカに着きました。冬季であったことと飢えから、その半分の人々が命を落としたと言われています。アメリカに着いた時、先住民に助けられ、その年の秋には、大きな収穫を得ることが出来ました。これを記念するのが収穫感謝祭です。しかしその後、後から来た者が勢力を持ち、先住民を追いやり居住区を設け先住民を追いやる始末になります。世界に大きな影響を与えるアメリカにもこのような過去があるのです。国の事情はそれぞれです。しかし、自分が生まれた国を捨てて新天地を求めて逃れ中ればならないと言うことは、何とも言い難いものがあります。この先、彼らの行く手に神の加護があることを願っています。

 

 

聖書の言葉

アロンとその子らに告げて言え。あなたがたはイスラエル人をこのように祝福して言いなさい。『主があなたを祝福し、あなたを守られますように。主が御顔をあなたに照らし、あなたを恵まれますように。主が御顔をあなたに向け、あなたに平安を与えられますように。』彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。<民数記62327

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デジタル社会の中で

 冬の星座、オリオンが東の空に昇ってくる時刻が早くなってきました。雪虫の舞う時期にもなりました。晩秋から初冬への趣を感じる時期です。昨日、教会員の方から、チャーチオルガンを頂きました。年代ものですが、ほとんど使用していないとのことで、まだ艶が残っています。僕の教会の礼拝堂には、電子オルガンを置いてありますが、礼拝堂を作るときにチャーチオルガンを購入することを考えました。ところが余りにも高価なことから断念したのです。早速、頂いたオルガンを弾いてみましたが、電子オルガンとは全く違います。電子オルガンでは難なく引けた曲も、頂いたオルガンではそうはゆかないのです。鍵盤の感覚が全く違います。ペダルの踏み方で音色が変わります。このオルガンを自在に弾けるようになるまでには相当の練習が必用になりそうです。教会の奏楽者の苦労がよくわかりました。

 

 

 アナログからデジタルに変わっている昨今、僕はアナログの持つ良さに心を惹かれます。因みに、僕の書斎の時計も昔ながらのネジ巻き式の時計です。振り子の調整で正時を合わせるのですが、これがまた苦労ものです。現在、その時計は5分進んでいます。もちろんデジタル時計も置いてあります。これから先の時代、便利さと正確さを求めて、更にデジタル化が進むと思います。聖書にもCDがある時代です。便利さを求めてゆく中で、本来あったものを忘れてしまう結末に行き着く様な気がします。温故知新と言う言葉があります。デジタル化を僕は喜んで受け入れています。しかし、アナログの良さをも感じます。様々な職業の中で、職人と呼ばれる方々の実に着いた技術がデジタル化できないように、神の造られたものはデジタル化することはできません。それは自然を見ればよく分かります。人知の及ばないものがあるのです。

 

聖書の言葉

彼らは、御座の前、四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌を歌った。<ヨハネの黙示録143

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ホームレス

 秋も深まり、夜鳴く虫の声もいつも間にか、わずかになってきたこの頃、時に朝晩の冷え込みに確実な時の移ろいを感じている僕です。僕の学んでいる生け花教室の隣に公園があり、そこには何人かのホームレスと呼ばれる方が住まいを構えています。住まいと言っても段ボール箱をシートで囲い雨露をしのげる程度のものです。段ボールや古新聞、空き缶などを集めて売り、収入を得ているように見受けました。この方々は、住まいはありますからハウスレスではありません。どう言う経緯でこのような生活をしているのかは、僕が知る由もありません。神学校の卒業式に行ったとき、上野公園でもこのような方々を見受けました。経済大国と言われるこの国の中でも、その日一日の命を繋ぐことに精一杯生きておられることを思うと、僕の生活の不自由など比較になりません。ホームレスとは、家があっても家庭の中に居場所がない。家が安らぎの場所ではないと言うことができるかと思います。そういう意味では、ホームレスと呼ばれる方々は、公園で段ボールの住まいに暮らしている人だけに限らないのではないでしょうか。家庭に喜びのない方々は数知れないと思います。これからの時期、クリスマスを迎え新年を迎えます。来月には用意されるアドベントクランツのロウソクの小さな灯の中に、安らぎと喜びを感じて頂きたいと思います。

 

 

聖書の言葉

夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい。キリストがそうなさったのは、水で洗うことにより、言葉によって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、また、しみも、しわも、そのたぐいのものがいっさいなく、清くて傷のない栄光の姿の教会を、ご自分に迎えるためである。
 
 それと同じく、夫も自分の妻を、自分の体のように愛さねばならない。自分の妻を愛する者は、自分自身を愛するのである。自分自身を憎んだ者は、いまだかつて、ひとりもいない。かえって、キリストが教会になさったようにして、おのれを育て養うのが常である。私たちは、キリストのからだの肢体なのである。

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罪意識

 昨日、そして今日と季節外れの雷雨がありました。気温は一気に下がり、少しばかり肌寒さを感じます。少し早いとは思いながらも、書斎に暖房の用意をした僕です。今月終盤に入りました。今年も残すところ数えることが出来る日数となり、また慌ただしい年末になります。一週間、7日ごとの繰り返しの中で、日々祈りを捧げながらも、僕自身がその祈りに伴わない生活をしているのです。頭では判っていても行いが伴わないのです。それはあたかも、吹き渡る風のように心が定まらず、心の赴くままに生きしまうと言うことです。僕は、そのような僕自身の心の中に少なからず罪意識を感じています。しかし天の父は、御子イエスを信じる信仰によって忍耐に忍耐を重ねて僕の罪を赦して下さっています。どうして神の教えに従えないのかと心を痛めることもあります。つまり、僕の心の中には、神に従おうとする心と、現実に罪を重ねる自分があり矛盾しているのです。この心の葛藤をいかにして鎮めたらよいのかわかりません。つまるところ、ありのままで良いと言うこと、心に正直に生きることであると思うのです。信仰者として、神の栄光を顕す生活を営むこと一点に的を絞ってその方向を向いて歩めば、自ずと生活も変わってくるはずです。明日からの新しい週は、このことに心を傾けて神を仰ぎつつ生きてみようと思います。

 

 

聖書の言葉

神がお造りになったものは全て良いものであり、感謝して受けるならば何一つ捨てる者はないのです。<テモテの手紙第一 44

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罪を重ねる日々

 深まりゆく秋の中で、夜鳴く虫の音にも変遷があるようです。10月も早や半ばです。いつも思うことですが、時の流れは早く、それを止めることはできません。刻まれてゆく時を最善の姿で過ごしたいと思います。それは端的に言えば、神との関係の中でのことです。毎日の暮らしを振り返るとき、後悔しない日はありません。今日も神を忘れ、自分の思いを優先させて過ごしてしまったと思う日々の連続です。その様な僕にも神は、恵みを賜い、今日の命を支えてくださるのです。神の愛の深さに胸が痛む思いです。例え信仰を持った人にも、自我と言うものがあります。ですから、罪を犯さず一日を過ごそうとすること自体が無理なのです。その時、必要なのは悔い改めの心です。今日一日の罪を神の御前に言い表し、罪の赦しを願うことです。明日から始まる新しい週も、悔い改めの心を以て過ごしてゆきたいと思います。

 

 

 10年ほど前に実生のカラタチを見つけ、移植して育てていました。今年初めて実を着けました。僕の地方では、キコクとも言います。僕が幼かった頃、近所の家の池のほとりに植えてあったことを思い起こしました。酸味が強く、とても食用にはなりません。因みにカラタチはミカンの仲間です。

 

聖書の言葉

忍耐と慰めの源である神が、あなた方にキリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、心を合わせ声を揃えて、私たちの主イエス・キリストの神であり、父である方を讃えさせて下さいますように。<ローマの信徒への手紙1556

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