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死からのメッセージ

 サクラ、モモ、コブシなどの花が見ごろとなったこの頃です。愛らしい草花たちも咲き誇るように見えます。僕が待ちに待った春なのに僕の心の内は暗い影が、うれしいはずの春を闇と化しています。世界に蔓延した新型コロナウイルス感染症の動向を日々確認しない日はありません。今日、明日で終息するものではないことは判っているのですが、いつまでこの状況が続くのかと思うと気が滅入るのです。

国民一人一人が、危機意識を持って自らの行動を制御しなければなりません。果たしてどれだけの人が危機意識を持っているのだろうと疑問を持ちます。決して他人ごとではありません。感染経路の不明な事例も少なくはありません。明日は我が身と言っても過言ではないと思います。今週は、志村けんさんが亡くなられました。国民的有名人の死は、驚愕の思いです。志村さんの死は、新型コロナウイルス感染症を軽んじてはいけないと僕たちに告げるメッセージになったと思うのです。

 

 

 イエスは、僕たちに罪の赦しを与えるために恥辱に満ちた十字架にかけられ死にました。神の子であるが故になさなければならなかった死です。今年は410日が受難日です。そして12日が復活祭にあたります。イエスは死にました。しかし、その3日後に甦ったのです。そして僕たちに復活と永遠の命を約束されたのです。ですから僕たちキリスト教徒は死にさえも希望を持っているのです。志村さんの死にも僕たちに伝えるメッセージがあると言いました。そうでなければ志村さんは無駄死にしてしまったことになります。聖書が教えるメッセージ、志村さんが伝えたであろうメッセージを謙虚に受け止め復活祭を迎えたいと思います。明日からの新しい週に平安がありますように。

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必ず勝利する

 早や4月になろうとしているのに、日本のみならず世界中が混乱の中にある昨今です。そうしているのは、世界中に蔓延した新型コロナウイルス感染症に他なりません。今日も、東京では63名の感染者が確認されました。この数値は、氷山の一角であると思います。必ず感染者は増える傾向にあり、もはや予断を許さない状況であると僕は思うのです。一刻も早い対策が必要で、緊急事態宣言の布告、或いは都市封鎖が必要な時期に来ているのです。その為には、国民一人一人が危機感と緊張感を持たなければなりません。ことは命に係わることなのです。トイレットペーパーが無くなるとか、マスクが手に入らないとか言うこととは次元の違う問題です。目の前の享楽、欲望よりも、我が国の、世界の将来を見据えた行動をとらなければなりません。新型コロナウイルスが感染を広げているわけではありません。

新型コロナウイルス感染症に感染した人が、隣人にウイルスをうつし新型コロナウイルス感染症を広げていっているのです。いつ終息するかは誰にもわかりません。

 

 

 この先、終点の見えない戦いが続きます。しかし、僕たち人類は勝利しなければならないのです。その為には、自己を犠牲にしなければならないことも多々あることだと思います。お互いに隣人のことを思い節度ある行動をとりたいと思います。新しい週に平安がありますように。

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知恵と知識の宝

 昨日320日は彼岸の中日でした。彼岸の中日を過ぎた今日、春めいた穏やかな日和になりました。古来より、暑さ寒さも彼岸までと言われますが的を得た言葉であると思います。春は生き物の息吹がよみがえり、生命の躍動を感じる時期です。今年の復活祭は412日になります。復活祭は毎年決まった日がありません。それは、春分の日の後の最初の満月の直後の日曜日と定められているからです。ですから春分の日の後の最初の満月がいつになるかで変わってくるのです。復活祭が近くなるといよいよ本格的な春の訪れを感じる僕です。そして、10年前の320日は僕が神学校を卒業した日でした。10年前のその一日の出来事を僕は昨日のことの様に覚えています。

 

 

 依然として世界の共通問題は、新型コロナウイルスをどう抑えるかです。マスコミは様々な情報を僕たちに提供してくれますが、どこまで信用できるのだろうと思うことがあります。いわゆる憶測と言うものが含まれている可能性が十分あるのです。かつてニュースでは、「きわめて信頼できる筋によると・・・」と言う表現がなされていました。言い方は良くありませんが、ワイドショーで取り上げていることは、その筋の専門家が加わるとは言え、憶測の部分が多分にあると思います。今はただ見識者の言うことをよく聞き、従う時期であると思います。このまま新型コロナウイルスが拡散すると極端な話、鎖国と言う事態にもなりかねません。蒲郡の男性のように軽率な行動をとるべきではないのです。国民一人一人が危機意識と正しい認識を持ち、自らの行動に責任を持つべきです。そうでなければ、政府が躍起になって抑え込もうとしている努力も一人歩きになってしまいます。宗教が病気を治癒できるはずがありません。しかし僕は言います。「知恵と知識の宝は全て、キリストの内に隠れている。」と聖書が教えていることを。新型コロナウイルス対策の為に尽力されている研究者や医師たちに、神が給う知恵と知識が注がれますように祈ります。明日からの新しい週に平安がありますように。

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初めと終わり

3月も半ばにさしかかって来ました。一足早くカワズザクラが咲き始め庭先に彩りを添えてくれています。ウグイスの囀りも聞こえるようになりました。本格的な春への一歩一歩を身を以て感じます。その裏では、日々増してゆく新型コロナウイルス感染症の患者の人数が僕の心に暗い影を落としています。いつになったら終息するのかは未知の世界です。WHOは、パンデミックと宣言しました。一番恐れていたことです。しかし、初めがあれば終わりがあります。これは今まで繰り返されてきた世の常識です。

この疾病を終息させるために、多くの研究者や医師たちは日夜職務に専念されていることだと思います。

目の前にあるのは、現実としての新型コロナウイルス感染症なのです。大げさに言えば人類最大の危機と言えるでしょう。僕たち一般人も感染しないように心しなければなりません。生活圏が狭くなっても、多少生活が苦しくなっても今が踏ん張り時です。国家も国民を見殺しにはしません。

 

 

初めがあれば終わりがあります。しかし、永遠に続くものがあるのです。それは、信仰と希望と愛であると聖書は教えています。「信仰と、希望と、愛、この三つがいつまでも残るのです。そしてこの三つの中で最も大いなるものは愛である。」とパウロは言っています。この愛がいつまでも続くのです。聖書が教える愛とは、見返りを求めない愛です。新約聖書はギリシャ語で書かれました。この愛をギリシャ語では、アガペーと言います。愛には様々な形があります。兄弟愛(フィラデルフィア)肉欲の愛(エロス)など日本語では、愛の一言で締めくくられてもギリシャ語に置き換えるとこのように多くの愛の形があるのです。自らの新型コロナウイルス感染症への感染だけでなく、隣人への愛の心を以てこの困難な時を乗り越えたいと思います。明日からの新しい週に平安がありますように。

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敵を愛せますか?

 当地でも梅の花が満開となり芳しい香りを放っています。花の香りをそっと嗅いでみました。昔と変わらない香りです。年に一度しか見ることが出来ない、年に一度しか香りを嗅ぐことが出来ないこの時期を僕は大切にしています。この機を逃すとまた一年待たなければなりません。これが自然の法則とでも言うのでしょうか。しかし、自然はこのような穏やかなことの繰り返しばかりではあません。時として人に牙をむくことがあります。この度の新型コロナウイルス感染症もそうですが、11年前の東日本大震災のように大津波を起こし人に立ち向かってくることが多々あるのです。神が創造された自然の前には、人は無力です。神の愚かさは、人の賢さにも勝ります。

 

 

 敵を愛し、自分を迫害する者の為に祈りなさいと聖書は教えています。果たして僕たちは、聖書の教えに従うことが出来るでしょうか。敵を憎んでも愛することなどできません。迫害されたとすれば憤りを覚えます。危害を加えられたとすれば反感を抱きます。これが正直な人心です。自分を愛してくれる人を愛することは容易いことです。同胞に挨拶を交わすことは誰でもすることです。自分の感情のままに生きることが果たして正しい生き方なのかと言う疑問が残ります。自分の感情を殺してまでも、敵を愛することが良いことなのでしょうか。……決してそうではありません。敵を愛するにも、迫害する者の為に祈るにも、その根底に愛がなければ意味がないのです。聖書は続けて教えています。それは、「あなた方が天の父の異なるためである。」と。この胸の内に愛の心が育まれるように祈りましょう。キリストの愛に触れた者は、その愛を胸の内に秘めておくだけでなく、敵の為、迫害する者の為に向け神の御心を求めて日々を重ねてゆきたいと思います。明日からの新しい週に平安がありますように。

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罪の告白、神の赦し

 知らずにいれば陽だまりにスイセンが目を出していました。心躍る気分です。冬来たりなば春遠からじ…春は物静かに訪れています。そのような中でも喜んでばかりはいられないのが、新型コロナウイルスです。今や世界中に伝播し、このニュースがない日はありません。終息の目途も立ちません。目に見えないものを避けて通ることは極めて困難なことで、予防措置を各自が行うしかありません。僕はスポーツクラブに通っていますが、しばらく休会することにしました。不特定多数の人々が訪れる場所だからです。世の中が便利になればなるほど、その裏側にあるものが表面化し、人々の脅威となることは少なくないと思います。

 

 

 悪しきものは、僕たちの心の中にも住み着いています。それが表面化するかどうかは、その人がどのように生きているかと言うことに関わってきます。悪を悪とも思わない人は少なくはありません。神が一番に忌み嫌う自己中心です。罪と言うこともできます。しかし、罪のない人はこの世に誰一人としていないのです。確かに法に触れることをしてはいないから、自分には罪がないという人もあることでしょう。しかし、そうではないのです。今日一日を思い起こしてみてください。人を悪く言いませんでしたか? お金に執着はありませんか? 卑しい思いを心にしませんでしたか? 僕たちはこのような思いを抱えて生きているのです。イエス・キリストの名によって、神に赦しを請いましょう。神は悔い改める者を赦される方です。これはひとかたならぬ神の恵みです。神から給う恵みを、日の光を浴びるように全身で受け止め日一日を重ねてゆきたいと思います。新しい週に平安がありますように。

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罪の根源

 2月も下旬、紅梅の花が満開となりました。紅梅は切り取ると枝の中も紅色をしています。気候が良くなってきたのに、新型コロナウイルスの影響で様々な催事が取りやめになったり、規模が縮小されたりとその影響は計り知れません。僕はスポーツクラブに通っているのですが、この頃は通うのもどうしたものかと思うことがあります。そして、いつになったら終息するのだろうかと心配をしています。この未知のものに立ち向かっている研究者や医師たちに感謝を捧げます。

 

 

 自然の営みは留まることはありません。天地創造以来、その営みが継続して今があるのです。僕たちは、この恩恵を将来に繋ぐ責任があります。無機的な都会の空間に住んでいる人々には理解できないことが多々あることでしょう。また無関心な人々がいることも否定できません。神から受けた恩恵に感謝するよりも、自らを喜ばすことに時間とお金を使うことには熱心になれるのです。また人を騙し自らの欲望を満たそうとする人も同じ時を生きているのです。神が創造されたものの中で、罪に染まったものは人だけです。その根源は、自己中心にあります。神に背を向けることにあります。誰もが陥る誘惑がそこにあるのです。‥‥手段を選ぶことなく。明日からの新しい週に平安がありますように。謙りの心をもって明日の礼拝に赴きましょう。

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ちいさな春の裏側で

 この冬の暖かさの中で、当地でも梅の花が咲き始めました。ようよう目に見える形で現れた春の姿です。しかし、喜んでばかりはいられません。今や世界へと広がりを持つ新型コロナウイルスの猛威は恐るべきものがあります。いつ終息するかも未知です。そう簡単には終息することはないと思いますので、世界の様々な場面に暗い影を落とすことは間違いありません。東京オリンピックどころではないのではないでしょうか。世界の医師たちや研究者が治療の方法を模索しているのです。中国をやり玉に挙げるのは建設的な考えとは言えません。未だ人跡未踏の地には、今まで人類が経験したことのないような病気をもたらす病原菌が必ずあります。人類は、そこに一線を引かなければならないと思います。

 

 

 ブラジルでは、熱帯雨林が日進月歩の勢いで開拓されていると聞き及んでいます。目の前の問題に目を向けるか、将来の僕たちの子々孫々にまで目を向けるかで為すべき行動が変わってきます。温暖化問題もその一つです。遡ること50年前には、このような気象はありませんでした。冬に雪が降り、それが根雪となって春まで解けずにいたのです。それが当然でした。このままでは人類滅亡の危機にさらされます。因果応報の法則が人類にも適応されるのです。先人たちは少しでも豊かで便利な暮らしが出来るようにと様々な物を造りだし、この世に送り出しました。その恩恵を今僕たちは受けているのです。恩が仇になるようなことになってしまっては本末転倒です。新興国と言われる国々は、僕たちの現状を、今の世界の現状をよく見て、どうしてこのようなことになったのかに目を向け、自らの国の行く先を見据えて頂きたいと思います。教会暦は受難節前に入りました。キリストの苦しみを覚える中で、僕たちも喘ぎ苦しみつつ人類の将来を見て歩んでゆかなければならない時期であると思います。明日からの新しい週に平安がありますように。

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勝利への道

 2月も間もなく中盤に入ります。僕の街では未だ雪を見ない日が続いていますが、遥か遠くに見える木曽駒ケ岳は真っ白に雪化粧をしています。夕焼けに映える真っ赤に染まった木曽駒ケ岳は、それは美しいものです。ウメの蕾も心なしか膨らんできたように見えます。春の足音は確かです。昨日はウメの剪定をしました。植えから年ほどになるウメです。剪定をしながら、このウメは僕より長く生き永らえるのだろうと思っていました。この世にあるものは全て、朽ち果てる時が来ます。初めがあれば終わりが必ずあるのです。僕たちもそうです。生れた時があり、死を迎える時があります。僕たちは普段このようなことを考えることはありません。目に見えるもが当然であり、普通であると考えるからです。しかし、形あるものは壊れるのが世の常です。

 

 

 

しかし僕たち、神を信じる者は霊的世界の存在を信じています。それは聖書が証するからです。肉体が消滅したのちには、確かに神の霊的世界があり肉体から離れた僕たちの霊は、霊的世界に帰ると言うのが僕たちの信じるところです。霊的世界は初めより永遠に滅びることはありません。僕たちはそれを神の国とか天国と呼びます。この世の者に先んじて、イエス・キリストは死を滅ぼし、つまり死に打ち勝ち甦り天に上げられました。肉体は滅びますが、僕たちの霊は創り主である神の下に帰るのです。僕たちは、死にさえも希望を持っているのです。神は僕たちに永遠の命を約束されているからです。これは朽ち果てるものではありません。神が約束されたからです。「世に勝つ者とは誰か。それはイエスを神の子と信じる者ではないか。」聖書はこのように教えています。勝利の御旗を掲げて、この世に立ち向かい勝利を得る者とされたいと思います。明日からの新しい週に平安がありますように。

 

聖書の言葉

<私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。>新約聖書 コリント人への手紙 第二 418

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命の継続

 早や2月となり節分、立春が訪れます。春の足音が聞こえるのも、そう遠くはありません。昨年の日記を見ると今頃には、既に梅の花が咲き始めたと書かれていました。今年は未だ咲く気配はありません。暖冬だから早く咲くと言うものではなさそうです。今、世界中を恐怖に陥れ入れているのが、新型コロナウィルスによる肺炎です。ワクチンも薬もない新たな病気、今後もそのような病気が必ず出現する可能性は大きいと思います。この肺炎が終息する目途など予想もつきません。しかし人類は、かつてより様々な困難に直面し克服してきました。それまでには多くの人の犠牲がありました。その上に立って克服した新薬の研究開発は、尊いものであると思います。病気を克服すること。これは薬はもとより、人類には精神と言う自らが持った自然治癒力があります。勿論医師の助けは必要になります。

 

 

 僕もかつて、深淵の死の淵に立たされたことがありました。「全世界を手に入れても、命を損ねたら何の価値があるのだろう。」このように聖書は物語ります。神が与えられた命を軽んじてはなりません。僕たちは神によって創造され命を賜っているのです。日々与えられる命に感謝を捧げるのが僕の日課の一つでもあります。命の継続が当然のように思いがちですが、そうではないのです。目には見えない、声も聞こえない神が背後で支えて下さっています。神は、語ります。「決してあなたを一人にしない。」と。

主を待ち望み、日々の命に感謝を捧げつつ明日の礼拝に臨みたいと思います。明日からの新しい週に平安がありますように。

 

聖書の言葉

あなたは知らないのか。聞いていないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造された方。疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。<旧約聖書イザヤ書:402831

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