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受難節に寄せて

 昨日は桃の節句でした。この言葉もずいぶん聞いていないように思います。旧暦の節句を新暦にあてたものですから、桃の花が咲く時期とはかけ離れています。古来から日本人の自然を相手にした物事の表現には美しいものが数多くあります。その多くは詩歌に歌われており、表現の豊かさに驚かされるばかりです。

 

 教会歴は明日から受難節に入ります。キリストの復活祭までの間、いえす・キリストの受難を覚える期間です。因みに今年の復活祭は、416日になりなす。春分の日の後の最初の満月が遅いのでしょう。聖書によりますと十字架の刑場で、ポンテオ・ピラトは、「この人からは何の罪も見いだせない。」と言われました。まさにイエス・キリストは何一つ罪を犯さなかったのです。病人を癒し、死者を甦らせ、当時、罪人と呼ばれた人たちと交わり悔い改めさせ、友無き者の友となりました。この罪のないイエス・キリストがどうして十字架の刑を受けなければならなかったのでしょうか。十字架の刑は、当時の刑罰としては、いちばん惨めな刑でありました。

 

 

 聖書は、罪の代価として支払われるものが死であると教えています。罪のないイエス・キリストが十字架にかかり死にました。その罪はどこから来たのでしょうか。それは紛れもない僕たちの罪なのです。本来であれば罪を犯し、日々その罪過を大きくしている僕たちが十字架にかけられなければならないのです。イエス・キリストは、神の測り知ることのできない計画により、僕たちに代わって十字架にかけられ死んだのです。イエス・キリストの死によって、僕たちの罪は赦されました。そして永遠の命が約束されたのです。

 この受難節の間、イエス・キリストの苦悩を思い日々、慎み深く生きてゆきたいと思います。

 

 神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。<ヨハネによる福音書316

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