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へりくだる心

 昨日、一昨日は真冬に逆戻りしたような天候でした。この時期、寒さと暖かさを繰り返しながら本格的な春へと時が流れてゆくのですね。せっかく咲き始めた梅の花も雪に覆われ寒々としていました。しかし、春は決して遠くはないと誰もが確信していると思います。早春賦の歌を思わず口ずさんでしまいます。春は名のみの風の寒さや♪〜 まさに早春賦です。

 

 学校では卒業式の時期です。春は別れの時期であり、また新しい出会いの時期でもあります。僕も何度も別れと出会いを繰り返してきました。別れてそれきりになった人もいれば、未だ付き合いのある人もいます。僕は50代半ばとなりました。人との関わりの人生に重みを感じています。人との関わりには不思議なものがあると思うのです。

 イエス・キリストは、自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。と教えられました。旧約聖書の律法を引用されたのです。4000年にも及ぶこの言葉を、身を以って心から信じ、実践した人はどれだけいることでしょうか。非常に重みのある言葉です。聖書は、未だ自分を憎んだ者はいないとも教えています。これは確かな事であると思います。人は誰も自分が可愛く、大切なものです。また、そうでなくてはなりません。それは、僕たちの身も心も、僕たち自身のものではなく、神から与えられたものだからです。同じように僕たちの隣人も、神から身と心を与えられているのです。

 

 

 同じ神から造られた者同士、お互いを認め同じ思いを以って神を讃えなければならないのです。しかし、現実はこのようにはゆきません。これが人の愚かさです。自分は可愛くても、人のことはどうでもいい。自分を理解してくれない人、自分の気に入らない人とは挨拶もしません。自己中心の極みです。高ぶりの心です。挨拶とはその意味を深掘りしてみると、心を開いて相手に迫ると言う意味があります。人間関係の基本中の基本です。心を頑なにしてはなりません。イエス・キリストが柔和で心の謙った方であったように、僕たちもイエス・キリストに倣うものであるべきなのです。

 

しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。『神は、高ぶる者を退け、謙る者に恵みをお授けになる。』<ヤコブの手紙46

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