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待つことは忍耐

 眠っていた生き物たちが、再び生を営む本格的な春の訪れの時期になりました。僕が待ちに待った春の訪れです。全地は命にあふれます。そして今年も僕の畑仕事が始まります。先日は肥料を用意し、用意は整っています。毎年、真っ先に植え付けるのがジャガイモです。父母が開墾して作った畑を、そしてその畑のお陰で命を繋いでくることが出来た土地を粗末には出来ません。

 

 待つと言うことは忍耐のいることです。しかし、必ず時は巡り訪れることは間違いありません。時が来ることを知っているから待つことが出来るのです。例えば自動車を運転していて信号が赤に変わると停車しなければなりません。停車中の時間はとても長く感じるものです。しかし、必ず青信号に変わることを知っているので待つことが出来るのです。違法に見切り発車をすれば事故の元です。古来、ユダヤの人々はキリストが世に現れることをいかなる思いを以って待ち望んだことでしょうか。旧約聖書にはキリストの誕生を予兆する記事が数多く記されています。聖書は今も昔も変わることなく、活きて働かれる神の言葉です。その言葉を信じ、キリストの誕生を待ち望んだのです。

 

 

 キリストは世に現れました。しかし、特定の人々はキリストをキリストとして認めませんでした。そして十字架に掛け、殺してしまったのです。しかし、キリストの救いは十字架の死で終わりではありません。キリストが十字架に掛けられたことは、多くの人が知るところですが、その後のことについては余り知られていないようです。

 キリストは十字架に掛けられた後、3日目に復活されたのです。死んだ後、復活するまでの3日間は、陰府に下りキリストが現れる以前に死んだ人々に、福音を述べ伝えたと言われています。今は、天の父なる神の右に座しておられるキリストは、「私は再び来る。」と言われました。それから2000年の時を経ました。未だキリストは来ておられません。しかし、キリストの言葉は、そのまま信じるに値します。キリストが再びこの世に来て下さることに希望を持ち日々祈りを捧げつつ、その日を待ち望みたいと思います。

 

エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、 その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。<旧約聖書イザヤ書1112

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