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貧乏くじ

 一週間前の日、僕が学ぶ生け花教室の“師匠を囲む会”が名古屋で行われました。生け花を始めて35年余り。今でも稽古のために用意された花材との出会いは、いつも新鮮な気分を醸し出してくれます。会には30名余りが集まりました。同じ門下で生け花を学ぶ仲間たちです。思いを一つにすると言う事を改めて思い知らされ、懐かしい方々との出会いもあり、幸福な一日でした。この日のために、テーブル花がそれぞれのテーブルに用意され、閉会の時にくじ引きで当たった人が持ち帰ることになりました。貧乏くじは数多く引いてきた今までの僕の人生ですが、この日は特別でした。テーブル花が当たったのです。他に当たったものと言えば、郵便局のくじで一等賞が当たったくらいです。景品は扇風機でした。

 

 

 

 僕が引いてきた貧乏くじは、僕に定められたものだと思います。それは、僕の性分を知る神が定められたものです。思いあがることがない様にと。幸運が続くと人は思いあがる傾向にあります。それを羨んでみるのが人の心ではないでしょうか。どうして自分はこんなに惨めなのだろうかと、人との比較の中で生きるのが人の心理です。

 しかし、いつまでも惨めなわけではありません。この世で惨めな思いをしただけ、やがて訪れる新しい天と地で受けるものは、栄光に輝くものが備えられているのです。悲しみの裏には、喜びがあるのです。苦悩の裏には、希望があるのです。決して神は僕たちを見捨てはしません。栄光に輝く御国へと凱旋する日を待ち望みたいと思います。

 

 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。そればかりではなく、艱難さえも喜んでいます。それは、艱難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちによって与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。<ローマの信徒への手紙525

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