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隣人愛

 今週の日曜日は、献堂1周年記念日でした。そのことを心に留め、谷の百合キリスト教会の名に因み、百合の花を贈って下さった方がありました。その方はクリスチャンではありませんが、キリスト教に寛容であります。届いた花の箱を開けて驚愕の思いでした。箱の中には色とりどりの百合の花が何十本と入っていたのです。その気持ちを有り難く頂戴いたしました。早速、礼拝堂に生け込み、百合の花の芳しい香りで礼拝堂が満たされるほどで、あまりにも本数が多いので、自宅の玄関と客間にも生けたのでした。

 

 

 僕にとって花との対面は、心和むひと時です。人の心を頂くと言う事は、何にも代えがたいものがあります。聖書の言葉に、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」と言うものがあります。

 この言葉は、隣人に対するキリスト教的愛のあり方を示しています。この戒めは一般に黄金律として知られています。論語に「己の欲せざる所、人に施すこと勿れ」と言うのがあります。これは通常思いやりの心と解せられています。思いやりの心もまた愛の心であることに変わりはありません。ユダヤ教の教師にもこれに似た言葉があると言われています。

 

しかしイエスは、この人間感情の機微を超えて、それを宗教的愛の感情に高められます。単に消極的な態度を積極的にするだけではありません。それはこの戒めに、これは律法なり預言者なり、と言う言葉が付けられていることによって分かるのです。律法と預言者とはイエスが廃止するためではなく、成就するために来られた本当の目標だったのです。
 そしてそれは溢れる義の道、すなわち、神によって導かれる愛の道だったのです。その愛がここに戒めの形で提示されているのです。「隣人を自分のように愛しなさい。」と言うのもこれと同じ意味です。

 

聖書の言葉

 人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。<マタイによる福音書7章5>

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