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共に歩まれるイエス

 

 昨日、そして今日は初夏の趣の一日でした。奄美・沖縄地方は梅雨入り、国会はテロ等準備罪の強行採決で混乱、このような中で今週一番世間を賑わせた話題は、眞子様の婚約者の発表でしょうか。いつになく目出度い話題の様に感じました。婚約者の男性は今の時代には似合わないような、今もこのような青年がいたのかと思うような好青年に思えました。このような話題となると付きまとうのが、芸能レポーターです。僕はこの類の人がこの上なく嫌いです。馬鹿げた質問、人の心に土足で踏み込んでくるような態度。このような職にある人を可愛そうに思うのです。しかし、世間の多くは、このような人々の報道を今や遅しと待っているのです。世の中には必要とされているのです。どこまで真実かわからない週刊誌を楽しんで読んでいる人たちがいるのです。熱しやすく冷めやすいのです。僕は批判的ですが、そのことが悪いことだとは言いません。ただもう少し静かに見守ってやってほしいと思うのです。

 

 

 

 華々しい話題の陰には、世の中の片隅に身を隠すかのように生きている人がいるのです。

それはホームレスの方々を指して言いうのでありません。心を病み自らの殻から抜け出せないこと。大通りを歩むことを嫌い、世の中の隅っこを歩んで、その日一日を精いっぱいの思いで生きている人がいるのです。イエスは、このような人々と思いを一つにされ、共に歩まれました。「安心しなさい。私が共に歩む。」と言われるのです。イエスと共に歩む人は高望みをしません。イエスがそうであったように遜りの生涯を貫くのです。そしてイエスの心から醸し出される平安の境地が与えられるのです。この事こそ、僕たちが生きて行く上で最も大切なことだと思います。

 

聖書の言葉

 友を侮ることは罪。貧しい人を憐れむことは幸い。<箴言1421

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