<< July 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

<< 幼児虐待に思う | main | 時の流れの中で >>
27年目のアマリリス

 今春、浜松市在住の友人宅からアマリリスを一株貰ってきました。このアマリリスは、僕が浜松市を去る時に、僕の家の花壇に植えてあったものを、この友人に譲ったものでした。いわば里帰りしたアマリリスです。27年目に見るこの花は、僕の青春時代を思い起こさせます。古い友を、過ぎし日々を忘れてはならないと思います。ただ、そのことに縛られて前を見ることを恐れてはなりません。僕たちは、この先何があろうとも神が約束された未来への約束があるのです。今も活きて僕たちの内に働かれる神の約束は、今も昔も変わることはないからです。

 

 

 神はすべて僕たちに必要な物を与えて下さいます。神のなさることは、その時に叶って美しいのです。たとえ人の目に見て惨めに思える状況にあってもそれも神の意志の内にあるのです。聖書を紐解いてみても、苦境の裏には必ず神が回復を与えて下さっています。

人の心の内には、楽しいことより苦しいことの方が深く刻み付けらるものです。だからと言ってそのことで、自らが不幸だと思うのは短絡的です。僕も幾度となく苦しい思いをしてきました。そして今、確実なことは独りで死んでゆかなければならないと言う事です。しかし、未来への約束を示して下さっている神が共にいて下さる確信があるので恐れはありません。信仰とはなんと素晴らしいことでしょうか。信仰とは、神を仰いで生きることです。

 

聖書の言葉

 空の鳥を見るがよい。蒔くことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、誰が思い煩ったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思い煩うのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくして下さらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思い煩うな。これらのものは皆、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存知である。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。 <マタイによる福音書6章26〜34>

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
コメント
コメントする








preview?
ご利用のブラウザ、設定ではご利用になれません。

この記事のトラックバックURL
http://taninoyuri.jugem.jp/trackback/412
トラックバック