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13年目のブドウ

 光陰矢の如し。今年も半年が過ぎました。この半年、僕は何をしてきたのだろうと思いを馳せますが、何と言ってこれはと思い当たるふしはありません。ただ一方ならぬ神の恩寵により、日々の命を賜ったことは間違いありません。苦の中にあっても、それは僕が思う苦であって、それも神の御旨であると思うのです。神はいつも、どんな状況にあっても、生きよと励まされるのです。その神の思いに反し、日々罪を重ねてきた自らを情けなくなる思いです。残された半年、どのように生きるかを考えさせられます。

 

 

 13年前、鉢植えにしたブドウが今年初めて多くの実を着けてくれました。思えば長い年月です。待つと言う事は忍耐のいることです。時に、実を着けないブドウだからいっそうの事、切り落としてしまおうかと考えたことがあります。それでも、もしかしたら来年には実を着けるかもしれないと思い世話をしてきました。やっと今年その成果が実を結んだのです。何事にも諦めてはならないと思い知らされました。

 家のブドウ棚には、今春にマスカットと、ピオーネの幼木を植えました。先に植えていたデラウェアが枯死してしまったので、その代わりに植えたものです。地植えなので、鉢植えよりも早く育ってくれると思っていますが、これもまた忍耐です。悪い枝は切り落とし、勢いの良い枝を育ててゆくことになります。これからの人生の日々、切り落とされる悪い枝とならないように自らの行いをよく吟味して生きて行きたいと思います。

 

聖書の言葉

 私はまことのブドウの木、私の父は農夫である。私につながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。あなたがたは、私が語った言葉によって既にきよくされている。

 私につながっていなさい。そうすれば、私はあなたがたとつながっていよう。枝がブドウの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたも私につながっていなければ実を結ぶことができない。

 私はブドウの木、あなたがたはその枝である。もし人が私につながっており、また私がその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。私から離れては、あなたがたは何一つできないからである。 <ヨハネによる福音書1515 

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