今年は空梅雨の様です。いつもの様な梅雨を見込んで、気になっていたアジサイを移植しました。ところがこの日照り続き。毎日、朝晩アジサイに水を与えるのがこの頃の僕の日課になっています。うまく根付いてくれるように祈っています。ところが僕のその仕事を見ていた人がいました。その人が言うには、「いつ枯れるか、時間の問題だね。」と。
物事には言い方と言うものがあります。この場合、「うまく根付くといいね。」と言っても良さそうなものだと心の内に思ったのです。そこまで言われたのですから、枯らすわけにはゆきません。アジサイの手入れにも力が入ります。
言葉には目には見えない力があります。たった一言の言葉で、人生が変わることも珍しくはありません。その一言によって人生が開けた人もいれば、打ちのめされて立ち直れないような思いをした人もいることです。自分の身になって言葉を選び慎まなければなりません。言葉は、神を讃えるために使うべきものです。それ以上、尊い言葉はありません。決して人を陥れるような言葉を口にしてはなりません。必ずその報いがあります。
聖書の言葉
それからイエスは群衆を呼び寄せて言われた。「聞いて悟りなさい。口に入るものは人を汚さず、口から出て来るものが人を汚すのである。」そのとき、弟子たちが近寄って来て、「ファリサイ派の人々がお言葉を聞いて、躓いたのをご存じですか」と言った。
イエスはお答えになった。「わたしの天の父がお植えにならなかった木は、すべて抜き取られてしまう。そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」
するとペトロが、「そのたとえを説明してください」と言った。イエスは言われた。「あなたがたも、まだ悟らないのか。すべて口に入るものは、腹を通って外に出されることが分からないのか。しかし、口から出て来るものは、心から出て来るので、これこそ人を汚す。悪意、殺意、姦淫、みだらな行い、盗み、偽証、悪口などは、心から出て来るからである。これが人を汚す。しかし、手を洗わずに食事をしても、そのことは人を汚すものではない。」<マタイによる福音書15章10〜20>