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夏の思い出

 サルスベリの花が美しく咲き乱れるこのごろ、コスモスを秋桜と言いますから、僕はサルスベリを夏桜と呼びたいと思うのです。サルスベリの花には特別な思いがあります。20余年ほど前、僕が籍を置いていた教会の協力牧師と気が合い良い関係にありました。このサルスベリの花の咲く中、上高地への旅行に出かけた思い出があります。その後も駒ケ根、茅野と旅行を楽しんだものです。結婚式の司式をして頂いた牧師もこの方でした。

 一年契約の牧師でしたので、翌年の3月には教会を後にされました。

 

 

 その後17年目に、僕が送った一通のメールから関係は復帰し現在に至っています。現在はロンドンで宣教にあたっておられます。この若き日の思い出を僕は心の内に大切に包み込んでいます。過ぎし日々を懐かしい友を忘れても良いものかと蛍の光の原詩は記しています。僕の心に響く歌詞です。懐かしい日々を思い出として大切にすることは誰にもある心情です。また、過去の悲しみを引きずって生きて行かなければならないことも多々あることです。しかし、僕たちにあるのは、過去の上に立つ今の現実であり過去は既に過ぎ去っているのです。過去のしがらみに心を囚われては将来はありません。僕たちにあるのは、現在と未来への神の約束です。その日一日に感謝を捧げ、日一日と進む時の中に僕たちが進むべき道を見出し、神がその道を整えて下さり御心を示して下さるように祈る日々でありたいと思います。

 

 協力牧師であった方は今年9月に一時帰国されます。お会いできるかどうかは分かりません。しかし、お会いできたとしたら神への感謝と将来を語り合いたいと思います。

 

聖書の言葉

 見よ。神の幕屋が人と共にあり、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、彼らの目の涙を全く拭い取って下さる。もはや死もなく、悲しみも叫びもない。先のものが既に過ぎ去ったからである。、<ヨハネの黙示録2134

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