<< July 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

<< 実を結ぶ | main | 主を待ち望む >>
一期一会

 今年も年明けから楽しみにしていたイチゴ狩りに浜松市まで出かけてきました。果物好きの僕にとっては、(イチゴは野菜です。)何よりの年中行事です。いつも付き合ってくれるのは、生まれた時から5歳になるまで毎日の様に見てきた友人の子供です。もうあの日から32年が経ちましたが、親交は続いています。僕の胸の内には、まだ幼かった頃の思い出が印象強く残っています。イチゴ狩りをして、寿司を食べに行くのが恒例になっています。

心通う人との交わりは、まさに至福の時です。いつも行くイチゴ園は、その名を、「いちごいちえ」と言います。一期一会とは、茶道に由来する日本ことわざです。茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであると言うことを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するものです。茶会に限らず、広く「あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう。」という意味で用いられ、さらに「これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい」と戒める言葉です。

 

 

 一生に一度の出会い、そのことが事前に判っていれば、それほど価値のあるものはありません。そうであれば、相手がどうあれ自らが出来得る最善を尽くし、限られた時を過ごすことが出来ます。そして後悔を残さないことでしょう。しかし、人は一期一会などと言うことを通常は考えません。ですから自分本位に相手に接し、心を尽くすどころか、不愉快な思いをさせたり、憤らせたりすることは日常茶飯事です。人の心の隅には、人を蔑む思いがうごめいているのです。その心の驕り高ぶりは、神への背信です。罪です。人の世は罪に満ちているのです。「義人はいません。ただのひとりもいません。」と聖書は教えています。常に自らを省み、神の御前に跪いて赦しを乞う日々でありたいと思います。

 

聖書の言葉

そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、霊による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一つにして、わたしの喜びを満たしてください。何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。<フィリピの信徒への手紙214

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
コメント
コメントする








preview?
ご利用のブラウザ、設定ではご利用になれません。

この記事のトラックバックURL
http://taninoyuri.jugem.jp/trackback/452
トラックバック