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愛に生きる

 今年もアマリリスが咲き、目を楽しませてくれています。僕の育てているアマリリスは、僕が浜松市に住んでいたころ、勤務していた会社の社宅に植えてあったものを、持ち帰ったものです。おそらく50年は経っていると思います。その間、世代交代を繰り返し今まで命を温存していると思うと、その生命力の強さには驚くべきものがあります。今の時代、様々な色彩の種類のアマリリスがあります。このアマリリスが植えられたころには、このタイプの花が流行っていたのかと永遠の昔に思いを馳せます。植物の生命力には驚くものがあると思う反面、今の時代、環境の変化からか、乱開発からか絶滅して行く植物も少なからずあります。ササユリ、オミナエシ、キキョウ、マツムシソウなど僕が幼かった頃、野辺でいくらでも見ることが出来た植物が今は滅多に見ることが出来ません。神が創造されたものが、人の手によって絶滅しているのです。命を保つことはなんと難しいことでしょうか。野の物は、地の法則によって命を温存します。しかし、園芸種は、人が手を施してやらないと枯死してしまいます。いかに愛着をもって育てるかが問われることになります。

 

 

 昨今、5歳の女の子が親の虐待により命を落としました。胸が痛む思いです。照明もない部屋に閉じ込められ、朝早くからひらがなを書く練習をしていたとか。その女の子が書き残したものには、「ゆるしてください。ごめんなさい。」と記されていたそうです。この両親は、親になる資格のない者だったと言うほかありません。子は、親の愛情を受け育まなければなりません。おそらくこの両親の生い立ちは良くはなかったのだと察することが出来ます。聖書は、「父たるものよ。子につらく当たってはならない。心がいじけるからである。」と教えています。天地を想像され、また人を造られた神は、全ての者に愛を注がれています。その愛を受け取ったものが、信仰へと導かれます。神が給う愛と慈しみの内を歩む者は、隣人に対しても、そのようにすることが出来ます。同じ人としてこの世に生を受けた者同士、互いに愛と尊厳とを以て生きて行きたいと思います。

 

聖書の言葉

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうち誰が、思い悩んだからと言って、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それは皆、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものが皆あなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは皆加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」<マタイによる福音書62434

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