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主の支えを覚える

 日増しにヒグラシの鳴く声が増してきたこの頃です。当地方も梅雨明けとなり、サルスベリの花が咲き始めました。いよいよ本格的な夏の訪れです。子供の頃、この時期になると町では盆踊りが始まり、僕の母は、近所の子供を引き連れて踊りに出かけたものです。思うに母は、若き日には労働運動に参加したりしていました。メーデーの話をよく聞かせてもらったものです。つまり、お祭り好きな性格だったのかもしれません。その母も天に召されて8年目を迎えます。母が天に召された日にも、そぼ降る雨の中、ヒグラシが鳴いていました。ヒグラシの鳴く音は、物悲しいものがあります。

 

 

 今年も折り返しの7月。年が明けてから何と言って変わらない生活の僕です。この先もおそらくそうだと思います。しかし、神への感謝を忘れることはありません。今日、一日も恵みを賜ったこと。守りの内にあったこと。一日の糧を与えられたこと、それによって命をつなぐことが出来たことへの感謝と、罪の赦しの願いです。そして静かな夜を迎え、暖かな布団に身を休めることへの感謝です。日々の暮らしは、あたかも自らの力によって営み、生きている様な思いになります。これが当然と言えばそうかもしれません。しかし、背後には、神の支えがあるのです。自分が主役ではなく、背後で働いていてくださる神が主役なのです。これを取り違えると、神への背信行為、つまり罪になり得るのです。

 明日から始まる新しい週に、主の祝福がありますように。主の光に照らされて、主から賜る恵みの内を歩まれますように。

 

聖書の言葉

しかし、ただひとつの日が来る。その日は、主にのみ知られている。そのときは昼もなければ、夜もなく夕べになっても光がある。<ゼカリア書147

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