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心遣い

 家に帰ると蒸し風呂のような暑さです。この暑さはいつまで続くのかと思い、雨が恋しいこの頃です。夜は外に出て、星空を眺めることが多くなりました。ひときわ輝く火星の光に旧約聖書に記された天地創造の記事を思い起こします。また、新約聖書に記されたイエスが誕生した時、イエスを拝むためにイエスの下へと旅をした東方の三人の博士たちもこのような星の光に導かれたのかとイエスの降誕物語を火星に放つ光に重ねてみています。僕の街は、何もない街ですが星空だけは美しいと街です。

 壮大な天空の広がりに比べ、人の人生はなんと儚いものだろうと思います。朝咲いて夕には萎んでしまう花を、生け花の世界では、一日花と言います。その一日にひときわ美しく花を咲かせ、夕には萎んで落ちてしまう。人の人生もそのようなものです。僕の生け花の師匠がよく言っていました。「家を訪ねて行って、一日花がいけてあったら、それはあなたの為に行けた花なのですよ。」僕が営業の職にあった時、この言葉をよく思い起こしたものです。

約束の日時に事務所を訪問すると、香が焚いてありました。そして小さな小瓶に、花一輪、葉一枚の生け花がテーブルの上に何げなく置いてあるところがありました。最低の物で最高のもてなしです。いつも商談が終わるとその結果はどうあれ、気分を良くして帰ったものです。日本人ならではの心遣いではないでしょうか。そのような日本人の美しい心もだんだんと薄れているようです。来週は来客が数多くあります。そんな心遣いに配慮しながら生きてみようと思います。

 

 

聖書の言葉

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。<マタイによる福音書62531

  

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