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おじさんと呼ばれ

 今日から9月。カレンダーを1枚めくり、残りも少なくなってきたものだと時の経つことの早さを改めて思い知らされました。何もしなくても時は刻々と刻まれてゆきます。同じ時を過ごすのならば、価値ある時を過ごしたいと思いながらも、何に価値があるかに決め手を得ないまま過ごしてしまうのが現実です。年相応の教養と風格を備えたいと思います。いつまでも若いようなつもりでいてはいけないとつくづく思います。樹木が年ごとに年輪を刻んでゆくように、人にもそれ相応の生きてきた人生の重みがあると思うのです。先般、病院を訪れた時、青年から「おじさん。」と声を掛けられました。“おじさん”の一言にいささかの違和感はありましたが、確かに“おじさん”と呼ばれる歳です。僕も“おじさん”かと思い知らされました。おじさんと呼ばれる歳となった僕は、聖書の教えに従って若者の手本となるような老後を送りたいと思います。信用を落とすことは、すぐにでも出来ます。しかし、信用を築くことは、きわめて厳しい道のりです。最後に目指すのは天の御国です。天には、僕たちの住処を父なる神が用意していてくださいます。その住処に、はばかることなく入ることが出来るのです。僕たちの人生は、神が導いてくださいます。その神が示された道を踏み外すことなく歩むこと。これが豊かな人生への確かな道であり、そのことによって、その生きざまを見た人々が、神を讃えること。これこそ僕の歩む道であり、ためらうことなく“おじさん”と呼ばれることにつながると思います。

 

 

聖書の言葉

そして、私たちが命じておいたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くように努めなさい。<テサロニケの信徒への手紙第一 411

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