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告別

 4日の早朝、親しかった牧師のひとりが天に召されました。歳は僕と同じです。逝くにはあまりにも早すぎます。召天の知らせが教会員からあり、僕は言葉がありませんでした。この牧師は、僕が神学生の時の指導牧師でありました。指導の甲斐あって、修業年限を一年繰り上げて全ての単位を取ることが出来、神学校では繰り上げ卒業をすることが出来たのでした。おおよそ20年間のお付き合いの中、様々な思い出が走馬灯のように僕の脳裏を巡り巡ります。人の死とはこんなに儚いものなのかと、胸を打たれる思いです。中国の諺に“紅顔の美少年、夕には骨となる”と言う言葉があります。仏教でよく使われる諺です。今は既に、父なる神の懐の内にあり、天において平安が与えられていることを信じます。僕はこの日を心に刻みます。

 

 

 しかし、聖書の教えを説く牧師である僕が、いつまでも悲しんでいるわけには行きません。

僕たちには、復活と永遠の命が約束されているのです。新約聖書のヨハネの黙示録には、「天使がラッパを吹き鳴らすとき、死者は甦ります。」と記されています。ラッパのなるとき死者は甦る。これは、あの有名なヘンデルの曲、ハレルヤコーラスで知られているメサイアの中にも歌われています。キリスト教は復活信仰です。キリストが十字架に掛けられて死んだことは、キリスト教徒ではなくても多くの人が知るところであると思います。しかし、死後三日目に甦ったと言うことを知る人は少ないのではないでしょうか。キリストの甦りを祝うのが復活祭です。毎年、春分の日の後の最初の満月の直後の日曜日が復活祭です。キリストの復活がなかったら、キリスト教は今の世に存在しないかもしれません。そして、イエス・キリストと言う人がいて、多くの人を救ったと歴史に名を刻むに限られたことでしょう。僕たちには神が約束された未来への約束、復活と永遠の命が約束されていることを心に刻み、明日に立ち向かって生きてゆきたいと思います。

 

聖書の言葉

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、また私を信じなさい。私の父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、私は場所を備えに行くのです。私が行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたを私のもとに迎えます。私のいる所に、あなたがたをもおらせるためです。」<ヨハネによる福音書14:1〜3>

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