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救いあり

 庭先のビワの花が芳しい香りを放っています。地味な花ですが、香りは何か懐かし昔を思い出すような気がしています。今開花しても収穫できるのは来年の6月ごろです。気が遠くなるような日々を重ね、日一日と成長していることを思うと生きていることの不思議に行き着きます。多くの生き物たちが眠りにつくこの冬に、たくましく生きている生き物がいるのです。自然の摂理は測りがたいものがあります。それは神が創造されたものだからです。

神の恵みは、草や木にまで及びます。自然のものが神の定めた摂理に沿って神の栄光を顕しているのに、どうして人だけが罪に染まってしまったのでしょうか。そのような人をも神は見捨てることなく、救いをもたらせて下さいました。それがクリスマスの出来事です。神は独り子を世に遣わすほどに世を愛されました。それは、御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を得るためであると聖書は教えています。商戦に乗せられたお祭り騒ぎのクリスマスではなく、まことのクリスマスの意味を深く胸に刻みたいと思います。

 

 

聖書の言葉

神は、実に、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は神の独り子の御名を信じなかったので、すでに裁かれている。<ヨハネによる福音書1618

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