<< May 2010 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

川の流れのように。
  春先に花を咲かせて、目を楽しませてくれた梅が実を結ぶ時期になりました。今年は寒さが続きますね。畑の野菜の生長も遅れているようです。
 隣町まで行った帰り、たまには違う道をと思い旧中山道を馬篭宿から妻吾宿へと峠を越して迂回してみました。旅人の往来はどんなだったろうと・・想像もつきません。同じ中山道を北に車で1時間ほど行くと鳥居峠と言う場所があります。今では国道19号線、トンネルになっておりあっという間に峠越えですが、このトンネルの中ほどに、←太平洋側 →日本海側という看板があるのです。しばらくしてわかったのですが、分水界だそうです。

 このトンネルの手前、名古屋側は川が名古屋方面に向って流れています。トンネルを抜けると川はその反対側、つまり塩尻方面に向ってながれています。川の流れが反対になっているのです。名古屋方面に向って流れている川は木曽川で太平洋に辿り着きます。そして塩尻方面に向って流れている川は信濃川となり、日本海に辿り着くのです。ここは中山道奈良井宿です。
 同じ奈良井の町に降った雨が、太平洋に辿り着くか日本海に辿り着くか。・・降った雨を生命の誕生、行き着く海を死とするなら同じ場所に生まれながら、正反対の運命を辿らなければならないわけで、その過程も、緩やかな流れがあれば急流もある。いくつもの支流を抱え込みながら穏やかにまた激流となりその流れは止むことなありません。
 
 時に他人と比較の人生、運の悪さを嘆いてみたりすることがありますが、始まった流れをせき止めることはできません。生まれた時からある程度の方向は決ってしまっているように感じます。順境の時も逆境の時にもその時々の現実を冷静に受け止め、川がいくつもの支流を抱き込んでその流れを大きくして行くように周囲から様々なものを吸収、取捨選択し幅のある深みのある人生の歩みを進めたいと思います。僕の人生、中ほどを過ぎたところです。   木曽川で言えば中津川の辺りかな。この先、伊勢湾に至るまでには数多くの難所を越さなければならない。僕の人生もこれからが正念場!
| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
ディリー ブレッド
 何気なく食卓の上にある、ミツカンのだししょうゆのビンを眺めていました。ラベルの上のほうに『やがていのちにかわるもの』と印刷されているのが目に留まりました。思ってい見れば口から入るものは、すべていのちにつながるものなのですね。このことばに重みを感じたのです。
今月はじめから、母が食事を摂らなくなってしまいました。おなかもすかないし、食べたくないというのです。この状況を長く続けることは出来ませんので、入院させました。しかし、食は細いです。いのちの基となる食事を十分に摂る事が出来ないことは、悲しいことです。

イエスキリストは、祈るときにはこう祈りなさいと祈りを教えられました。これを『主の祈り』と言います。それは、天にまします我らの父よ。で始まる祈りで、ここまでは聞いたことがありますよね。・・・そして続く祈りの中に、『日用の糧を今日も与えたまえ』と言う祈りが続きます。
日用の糧・・これには二つの意味があります。ひとつは食料として私たちの命を体を支える糧です。ヤマザキの初代社長はキリスト教徒でした。当初からヤマザキパンの袋には「Daily bread」と印刷されているそうです。ディリー ブレッド・・毎日のパン・・・日用の糧です。

そしてもうひとつの糧は、私たちの心を養ってくれる糧です。それは神のことばです。聖書のことばの一言に、励ましや慰めを与えられた人は少なくないでしょう。私もその一人です。
イエスキリストは語りました。『人はパンだけで生きるのではありません。神の口から出るひとつひとつの言葉によって生きるのです。』(マタイによる福音書)
| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
牧師連絡先
  • 牧師の連絡先です。
    メール  cerejeira@festa.ocn.ne.jp

    谷の百合キリスト教会牧師   原 範幸



     
| comments(0) | trackbacks(0) | 牧師連絡先 |
野の花を見よ。空の鳥を見よ。

 GWも終わりました。天候に恵まれましたが、暑いくらいの陽気でしたね。5月となれば初夏と言う言葉が適当かもしれません。
harurindou















                        あたたかな陽だまりにハルリンドウの群生地を見つけました。子供のころにはいたるところで見かけましたが、このところめっきり少なくなってきました。絶滅危惧種ではなかろうかと思っています。

 畑では雑草も伸びますが、作物もようようそれらしく見えるようになりました。最近は、採りたてのアスパラガスをラップに包んで電子レンジでチンして食べています。何も味をつけなくても結構いけるんです。
 そんなことをしていると、山際からキツツキが木を突く音が聞こえてきます。コン コン コン コン・・・・・・・・連打です。これをドラミングと言うそうです。音をたよりにそうっと近づいてみると、いました、いました。どうもアオゲラのようです。かれた松ノ木を目にも留まらぬ早さで突いていました。
 コゲラも多くいます。コゲラの突きは、コン コン コン・・・と少し迫力に欠けます。
 自然の営みを肌に感じることが出来るなんて、幸せなことなんだなぁ。自然の営み・・・野の花も、空の鳥も、神様が定められた地の法則に従って、神様の栄光を顕しているんです。私たちは、花や鳥よりも優れたものとして創られました。私たちのなすべきは何でしょう・・・・。

空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなた方の天の父は鳥を養って下さる。あなた方は、鳥よりも価値のある者ではないか。
あなた方のうちの誰が思い悩んだからといって、寿命を延ばすことが出来ようか。
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのようにして育つのかよく見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花のひとつほどにも着飾っていなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。
まして、あなた方はなおさらのことではないか、信仰の薄いものたちよ。だから『何を食べようか。』
『何を飲もうか。』『何を着ようか。』と言って思い悩むな。
マタイによる福音書6章26〜31

| comments(0) | trackbacks(0) | 書斎から |
| 1/1PAGES |