インターネットを見ておりましたら、前回お話しました不思議な球体『オニフスベ』についての投稿がありましたので、ご紹介します。
3年ぶりでオニフスベを試食した。径十五センチほどの幼菌である。下部の虫の入った部分を切り捨て、包丁で皮を剥く。リンゴを剥くのとは違って、包丁を当てて引っ張るだけで厚さ一ミリほどの外皮がすーっと剥ける。真っ白なケーキのようだ。これを厚さ一センチほどにスライスする。その感触もスポンジケーキを切る時に似ている。
まず、生でかじってみた。ごくありふれた菌臭なのだが、マツタケの香りと反対で、決して好ましい匂いではない。くせの強い生木をかじっているような味がする。以前に試食した時は、紙のような繊維質が歯に残ったのだが、こんどのはきのこが若いせいか、すっと喉に落ちる。ただ、生木のような味とともに歯とその周辺に残ったわずかな残滓がけっこう気になる。味が口の中に滞留するのである。
次にオーブンで焼いてみた。焼くと少し茶色っぽくなる。醤油をかけて口に入れた。あの菌臭はそのままで、舌触りも生の時と大差ない。はっきり言ってまずい。次にフライパンに油をしいて炒めてみた。やや焦げ目を付けてから口に運ぶと、これまた生で食った時と大差ない。焼いても炒めても、菌臭が消えないのである。
つぎに賽の目に切って味噌汁に入れてみた。豆腐と違って汁の上でプカプカ浮いている。十分熱が通った頃合いをみて碗によそり、口に入れる。やはりまずい。じつにまずい。図鑑には「食」と記されるキノコだが、「採ったけど、まずいから結局捨てた」という話をよく聞く。だったら、採らないことだ。そのひと言を言いたいための試食だった。おそらく、ヨーロッパで食されているジャイアント・パフボールと混同されているせいだろう。図鑑に「食」とあるせいで、どれだけたくさんのオニフスベが採られ、家庭のごみ箱に捨てられたか想像に難くない。
私はなんとなくオニフスベが好きなのである。子供に見つかると必ずボールのように蹴飛ばされるきのこ。隠れても目立ち過ぎる間抜けなきのこ。写真のオニフスベを抜いて、カメラを向けたら、我が家の愛犬がオニフスベに向かってわんわん吠えた。やはりボールでないことは分かるらしい。犬にも不気味な存在感の伝わる奇妙なきのこなのである。
だから、食いもしないのに採ってほしくないと思う。それは、「野に咲くサクラソウが好きだ。だから採るな」と言うのと同じで、たんなる自分のエゴイズムである。「鯨を捕るな」というのとも同じだと思う。まったくの独りよがりのエゴイズムだけど、このキノコは絶対にまずいので、そっとしておいてほしいと思う。
この記事の投稿者は、辞書に『食』の文字があるけれども、自らが調理法を幾つか変えて食べてみたら、はっきりと『まずい』キノコであることがわかったので、採らないで欲しい、見つけてもそのままにしておいて欲しいということを述べるために、試食をしたわけです。人は、何か珍しかったり、価値がありそうだと思うと、自らにそのものの価値がわかる、わからないは別にして自分の物にしたくなる心があるものです。
私たちの心の中には、人には譲ることの出来ないものの考え方と言いますか、固定概念がきっとあると思うのです。世の中には、俺が法律だと言わんばかりの勢いのよい人もいるのですが。私が・・・。俺が・・・。私のために、・・・。俺のために・・。と言うようにあまりに自己の主張が過ぎると、利己主義者と言われることは避けられません。
今、名古屋では『生物多様性会議』が開かれています。先日、世界の絶滅危惧種についてのテレビ番組がありました。そこで取り上げられていたのは、アフリカに自生する“ペラルゴニウム”と言う植物です。この植物は、ドイツでは風邪薬の原料として使われているそうです。現金収入のない地元の住民たちは、競ってこの植物を採って仲買人に売るのです。住民にとっては貴重な現金収入になるのですが、あまりの乱獲にこの周辺の大地からペラルゴニウムが姿を消してしまいました。どこにでもごく自然に生えていた植物です。
人の手によって、姿を消してしまった種はいくらもあります。つまり絶滅です。神は、創世記で、『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這う生き物をすべて支配せよ。』と人を祝福しておられます。人は神に代わり、すべての生き物の管理を委ねられたのです。それは、人のために他の種を絶ってもよいということではありません。