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契約のしるし

 
 どうやっても、人間関係は避けて通ることの出来ないことですね。うまくいっている時はいいけど、ひとつつまずくと修復までの道のりは、果てしなく遠いように思われるものです。僕はこの人間関係に、今 つまずいています。本当に苦しい、二晩は眠ることが出来ませんでした。
 こんな思いを引きずって買い物に出かけた帰り、虹に遭遇しました。久しぶりに見る虹。綺麗なものです。ふと聖書の言葉を思い起こしました。

あなたたち、ならびにあなたたちと共にいるすべての生き物と、世々とこしえに私が立てる契約のしるしはこれである。すなわち、私は雲の中に虹をおく。これは私と大地の間に立てた契約のしるしとなる。
私は、私とあなたたちならびにすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。水が洪水となって、肉なるものすべて滅ぼすことは決してない。
雲の中に虹が現われると、私はそれを見て、神と地上のすべての生き物、すべての肉なるものとの間に立てた永遠の契約を心に留める。   創世記9章12〜16

今日はクリスマスイブ。 目の前のことに心を奪われて嘆き悲しむことは良くない。あなたの信じる神に信頼し救いの約束を思い起こせ。雄々しく生きよ。と声なき歌声が心に響くような気がする。
最高のクリスマスプレゼントかもしれない。

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初雪
  12月も半ば、今日は初雪が降りました。恵那山にはすでに何度も雪が降っています。子供のころ祖母から、恵那山に三回雪が積もると、里にも雪が降るようになると聞かされています。遠い昔の話です。
 今日は雪にちなんだ昔話をご紹介します。”あとかくしの雪”と言う物語です。

寒い冬がやってきました。ある年の11月23日の夕方でした。ぼろぼろの衣をまとった旅のお坊さんが村にやってきました。

「もうし。どうか、今夜一晩、泊めていただけませんか?」

家の戸口に立って、頼んで回りましたが、どこの家でも断られ、泊めてもらえません。

 食べ物を恵んでくれる家もありません。村のお百姓さんたちは、この年、作物が実らず、自分たちの食べる物さえなくて、困っていたのです。お坊さんは、一軒一軒断られ、とうとう村の一番端の 一番貧乏な家にたどり着きました。寒いし、おなかはすくし、もう倒れそうです。でも、この家では おばあさんがたった一人で、やっと暮らしているのでした。おばあさんは、お坊さんを見ると、「さあさ、どうぞ。こんなあばら家で、それに今夜は何も食べるものがないのですが、良かったら休んでいってください。」

と言って、お坊さんを家に上げました。


「火のない、いろりですが、どうぞ・・・。」

貧乏で火をたくものもないのです。お坊さんは、ほっとした様子でわらじを脱ぐと、火のないいろりのそばに座りました。おばあさんは、お坊さんに何かしてあげられないかしらと、そこらを見回しましたが、やっぱり何もありません。困ったおばあさんは、そのうち そっと家を出て行きました。

外に出た おばあさんは、隣の地主さんの田んぼの隅に、まだ稲の束がかかっているのを見つけました。

「ちょっと、お借りしますよ。 必ずおかえししますから・・・。」

と言って、その中から2.3束引き抜きました。それから、おばあさんは、猫の額ほどの自分の畑にいってみましたが、やっぱり何もありませんでした。しかたなく戻る途中、隣の地主さんの畑に大根が生えているのを見つけました。

「ちょっと、おかりしますよ。 必ずお返ししますから・・・。」

と言って、大根を一本だけ引き抜きました。

 地主さんの田んぼと畑には、おばあさんの足跡が残って、おばあさんの家の戸口まで続いています。明日の朝になれば、地主さんは気づいて、どなりこんでくるだろう。


 おばあさんが、稲の束と大根をかかえて帰ると、お坊さんは熱心に何やらお経を唱えていました。おばあさんは、稲をこき、実をとって、それを石臼でひきました。今度は、裏山に行で焚き木をひろってきて、いろりに火をたきました。しばらくして、米の粉でつくった団子と大根のお汁ができました。

「お坊さん、さぞおなかがすいたことでございましょう。団子汁が煮えましたから、召し上がってください。」

お坊さんは、たいそう喜んで、お椀を取りました。おばあさんは、一緒にお椀を取りながら、自分の足跡が気になって、「今夜、雪でも降りゃいいがなぁ」と独り言を言いました。


 明くる朝、目を覚まして、おばあさんはびっくりしました。外一面の雪です。 おばあさんが気にしていた足跡は、雪で綺麗に消されていました。お坊さんは、おばあさんのやさしい気持ちに感謝して、雪の中をどこへともなく去っていきました。

それからというもの、この村では、毎年11月23日ごろになると、おばあさんの足跡を消してやろうと雪が降るのだと言われています。


雪を降らせておばあさんの足跡を隠してくれたのは、仏の慈悲かも知れません。

私たちも胸に手をあてて自分を省りみれば、足跡を見られたくないと言う経験を何度も繰り返してきたはずです。人には触れられたくない物のうごめきを心の中に感じます。私たちの主イエス・キリストは、私たちひとりひとりの一切の罪を赦し、覆ってくださいます。もはや私たちは、罪の束縛から解き放たれたのです。そして今なお、共に歩み、慰めとはげましを与えてくださいます。
 
キリストが共に歩んでくださる人生に喜びあり。
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師走
 いけばなを始めてから30年近くになります。最初の師匠に感謝するこのごろです。
 さて、その師匠の義父は大学の教授を務めておられたそうです。退官後、病弱になり入院生活をしていましたが、自分が大学教授であったことから看護師の言うことを聞かなかったそうで、そうした義父の姿を見てきた師匠は、若い自分の身内の者:姪達に自分が偉いものなどと思ってはならないと、生涯、師を持って生きなさいと いけばなの稽古をさせていました。そして僕達にもそうあって欲しいと。いけばなの世界は家元を頂点にしたピラミッド形の階級社会です。どんなに稽古を重ねても家元という師がいるわけで、自らが頂点に立つということはあり得ません。自分が・・・という人が多くなってきている昨今、僕は師匠の思いを厚く感じそうありたいと願っています。

師走、年の瀬になって、様々な職人が忙しく走り回る様だそうです。


 

もしある人が事実そうではないのに、自分が何か偉いの者のように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである。ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。ガラテヤ人への手紙6:4-5


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