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証を立てる
 

 田瀬教会では、第5週の礼拝は信徒立証礼拝を行っています。信徒が、牧師の説教に代わり話をする礼拝です。信徒の自らの人生、神との関わりなど内容は信徒それぞれです。

 昨日は1月の第5週の日曜日です。信徒立証礼拝が執り行われました。80歳を超えられて、今なお農業を営んでおられる方が、話をしてくださいました。普段のお付き合いの中では、ナスを栽培しておられる方。農業士の認定を受けられた方、と言うように、僕は、職業を通してその方と接していました。確かに職業は人を顕すものの一つではありますが、その裏側には、夫として、親として、子として、また兄として、弟としての生き様が人それぞれに必ずあるのです。これを人生の厚みと言うのでしょうか。昨日は、この方の人生の厚みに触れることが出来ました。そして「私の人生は神によって支えられてきた。」と結ばれました。

老いて、自らの人生を省みた時、そこにはどのくらいの厚みと幅とがあるのだろう。喜びも悩み苦しみも、すべて相総じて益となす神。私たちに必要なものは、願う前からご存知である神。願いを祈るより、感謝を捧げる日々でありたいと思うのです。

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早春賦
 
 沖縄からは一足早く、桜の便りが届きました。沖縄の桜は、染井吉野ではありません。各地の桜の開花予想も発表されました。この辺りは3月下旬の模様です。冬の寒さが厳しいほど、桜の開花が早まるそうです。




(2010年3月19日上野公園:JTJ宣教神学校卒業式前日に上野公園を散策)
・・とは言っても、暦は大寒。
しかし、春の足音は遠くない。

 一年前の今頃の僕は、
3月の神学校卒業を控えてレポートの作成に必死の思いでした。卒業式は320日でした。会場は上野公園内の精養軒、上野公園の桜はちらほらと咲き始めていました。まだコートの要る陽気でした。今年は何人の神学生が卒業して行くのだろう。

 時々、中野雄一郎学長の言葉を思い起こします。牧師の実力は、『神学校をいくつ出たかではない。どれだけの魂を救うことが出来たかだ。』僕もその働きが出来たらと思うところです。

 

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人の温かさに触れるとき
 

 以前に勤めていた会社の上司は、山形県の出身でした。その上司が子供のころ、大変な大雪があったそうです。雪で外にも出られず、家はすっぽり雪の中に埋まってしまい、そろそろ雪がやんだころかと、外に出てみると家の屋根の上を人が通った跡がついていたと聞かせてくれました。家がどこにあったのかもわからなくなってしまう雪、僕には想像もつきません。

 大学受験の時期になりました。僕は知らずにいたのですが、温情停車と言うのがあるんですね。電車を乗り間違えた受験生のために、普段は停車しない駅に臨時停車してくれるそうです。鉄道会社もいいとこあるじゃん!と言う反面、批判的な考え方を持つ人も多くいるようです。僕はその立場の考えです。電車に乗り間違えたのは、個人の責任であるはず。試験会場までの道順や乗り物を確認しておくのは当たり前のことです。そして不測の事態に備えて、余裕をもって出かけること。僕は受験の際、前日に会場の近くの親戚の家に泊めてもらいました。

 
 温情停車のほかにも、会場を間違えて交番に駆け込み、パトカーで送ってもらった人、会場へ行く途中で雪のために電車が不通になって、長距離トラックに乗せてもらった人。先日テレビで、実際にあった話とかでやっていました。

 
 人の心、人の温かさに触れることが出来たことは、思い余りて言葉足りぬほど嬉しいことだと思います。ましてやこの寒空の下で。受験のときにと、後に思い起こすとき、人から受けた恩をもきっと思い出すことでしょう。人にもそうしてあげる心を育んでゆきたいものです。

 

わがたましいよ。主をほめたたえよ。

主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
<旧約聖書詩篇
103
2>

 

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春の花は黄色から  
春の花は黄色の花が多いのです。
ロウバイ、マンサク、サンシュユ、レンギョウ など。春は黄色から始るのですね。昨年末から庭先には、ロウバイが咲き始め、ほんのり甘い香りを放って、花と香りを楽しませてくれています。暦は小寒に入りました。厳寒のこの時期に、身の回りに花があることは嬉しいものです。




今年も成人の日が訪れました。人生の中で、ひとつの節目となる日だと思うのです。今年もまたこの成人式での情けない姿が報道されました。

山口県警下関署は9日、同県下関市の成人式会場近くで模造刀を持っていた市内の新成人のアルバイト少年(19)を銃刀法違反(模造刀剣類の携帯の禁止)の疑いで現行犯逮捕した。
発表によると、少年は9日午後0時半頃、成人式が行われた県国際総合センター(海峡メッセ下関)のアリーナ棟近くにある国際貿易ビル1階で、刃渡り約70センチの模造刀を所持していた疑い。逮捕当時、「羽織、はかまを着れば刀が必要」と話していたという。
(Yahooニュースから)

このような若者の姿が報道されると、身の回りの若者たちはどうなんだろうと心配してしまいます。荒れる成人式はここ数年珍しくないからです。時代が変わったと言えば、確かに時代は変わっている。しかし、人としてのあり方は時代の変化には追随しないのではないでしょうか。

特に若者たちにお勧めしたい。信仰を持って生きて欲しいと。キリストを信じて生きることは、タバコを吸わないことではなく、酒を飲まないことでもないのです。新約聖書では、このような禁欲的なことは虚しいとはっきり言っています。神の言葉に耳を傾け、人に対する神の愛の大きさを知るとき、自分が見えてきます。そして人としてのあり方に目が開かれてくるのです。

神の言葉は全ての人に開かれています。神は来る者を拒みはしません。

『あなたの若い日に あなたの創造者を覚えよ。
災いの日が来ないうちに、また「何の喜びもない」と言う年月が近づく前に。』
<旧約聖書:伝道者の書12章1>

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豊年満作
 

あけましておめでとうございます。2011年が始まりました。

迎春 新春と言われ、この言葉をよく目にしますが、実感が全くないのは僕だけでしょうか。冬来たりなば春遠からじ。言葉ではなく肌に感じる春の訪れが待ち遠しいです。


 

 2月になると僕は、マンサクの花が咲いてはいないかと里山をめぐります。マンサクの名前の由来はまず咲くがなまったものだとか、豊年万作の万作だとか言われています。地味な決してきれいとは言えない花です。色は黄色、春は黄色の花が多いです。
 豊年万作、五穀豊穣を喜んだのは昔のことかなって思うのです。農家はいろんな作物を栽培して市場に出していますが、豊作は相場の暴落、収穫されずに畑に植えられたまま年を越し、土に鋤き込まれて行く姿を見たことがあります。果樹は摘果による生産調整というのもありますよね。食を支えているのは農業:漁業。一番大切なことだと思うけど農業は衰退、農地は宅地や商業地に変えられているそんな姿を見るとこの先どうなるのかなと思ってしまいます。


飽食の時代、欲しいものは何でも好きなだけ買って手に入れ食べることができる。いつまでもこんなことは続かない、きっと。世界を見てみれば貧困と飢餓に苦しむ人々がいることを忘れてはいけないと思うのです。いつもこうしたことのしわ寄せは弱い者へ!かなしいですね。神の平和が世界に満ちる日を待ち望みたい。

 
 私は全地の面にある種を持つすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。 
<旧約聖書創世記:129>

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