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人間性の回復
 

 晩秋の夕暮れは、人を急がせるような気がします。

 今年もイチジクが多くの実を着けました。いつもならとっくに鳥に食べられてしまっているのに、今年は鳥の食害はありません。こんな年も珍しいと思います。

 聖書を読んでイチジクと言えば、徴税人ザーカイが思い起こされます。イエスが街を通られるのを知って、背が小さい為にイチジクの木に登ってイエスの通るのを見ていたのです。僕たちの身の回りにあるイチジクは、人が登れるような木ではありません。他の聖書には、イチジククワと記されたものもあります。桑の木もイチジクと同じ仲間ですから、ザーカイの登ったイチジクは種が違うのだと思います。





 そんなザーカイの姿を見られたイエスは、ザーカイに声をかけました。『今夜あなたの家に泊まりたい。』ザーカイは言いようもない喜びに浸ったことだと思います。そして同じ徴税人マタイのことを、聞いていたかもしれません。ザーカイはイエスに言いました。『私は財産の半分を貧しいい人に捧げます。また、だれかからだまし取った分を4倍にして返します。これはザーカイの悔い改め、信仰告白に他ならないと思います。

 イエスの言葉『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救う為に来たのである。』これこそ人間性の回復です。

 失われたもの、これは本来人が持っていたもの。欲と罪の中でなくしてきたものだと思います。

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足跡
 

一段と寒暖の差が大きくなり、外歩きの格好も考えてしまいます。こうした寒い早朝から仕事をされている人も少なくはありません。ご苦労様です。






 色あせてゆく風景に、何か過の日の名残はないかと探しましたが、野に目立つものは、野菊だけです。そんななかで活きのいいヒメジョンの花を見つけました。初夏から毎日のように見かける花なのに、この時期になって生き生きした状態で咲いているなんて、さすがに外来種は強い、こんな印象を持ちました。ふと気付いて見ると、虫の声もう途絶えています。そして昨夜は、すばらしい星空でした。

 暗黒は悪の好むところ、そうしたなかで人は、世が明けるまで恐怖の中に身を置かなければなりません。そうではないように、人の救いのために空に星をちりばめ、神の救いの深きことを人に知らしめたのです。
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夢に見た収穫
 

秋の収穫を夢見て、様々な作物を植えつけました。このころからは、息子が仲間に入りました。今まで作った作物で、もし自慢と言う言葉が使えるとしたら、レタスとカリフラワーです。そして一級品と言わせてもらえるのなら、枝豆です。これは絶品で、噛んでいると濃い味の豆腐のようでした。


 

5月23日植え付け





10月10日収穫



先週は、サツマイモを掘りました。やく30kg程度の収穫があったのですが、形、大きさはそれぞれ、商品として店に出す農家の方々の苦労を実感しました。トウモロコシは、台風で倒伏してしまいました。オクラは実の成長に収穫が間似合いませんでした。

自分がこういうものを作るんだという思いが先にたつと、こんな落胆の思いがあるのでしょううね。作物の持つ成長の力に人の力が及ぶことは極めて少ないと思います。そしてそれが自然なのだと。所詮畑つくり2年目、もう来年の構想を練っています。
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恵みと収穫




  今年の収穫はと、年末に向ってこの一年を振り返えり自らを省みるこ機会が増えるこれからの時期です。一年と言うのは確かに区切りの良い周期です。ここ何年も僕にはこれと言った収穫のない年を重ねているように思えて、それがとても虚しく辛いです。自らの手で得たものを収穫というのだろうか。神から与えられるもの、これは恵み。僕がこの人生で何を得たか、僕の人生にどんな価値があるのか、あったのか・・それは死の時に明らかになるのかもしれない。

 種を蒔いて収穫を得る収穫。僕たちは仕事をしてその代価として給料を得ているわけで、これも収穫と言ってもいいのかもしれない。

妻籠の街の中で桧笠を作っているお年寄りを見かけました。僕の祖母も、この桧笠を作って売り、生活を支えていました。

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豊かに変えられる
 

プロ野球も終盤戦に差し掛かりました。今年は東日本震災の影響を心配して未だ行かずにいます。僕のお気に入り球団は西武です。去年とは様子が違い、少し元気がない感じです。せめてファン感謝デーにでも行く機会が与えられたらと思っているところです。西武の本拠地、所沢へは、朝一番の中央線に乗り、塩尻から特急で新宿へ、池袋まで行き、後は西武池袋線で球場へ。帰りは終電です。野球観戦のあと、一週間ぐらいは、何か力がみなぎる感じがするんですよ。西部の勝敗に関係なく。一気に燃え上がって、不断の憂さ辛さもきっと完全燃焼してしまうんでしょうね。持続できるそんなことがもっとあるといいね。

このところの気候のむらには、少し心配しています。それは畑の野菜たちのことです。

間引きするのも大変だろうと、カリフラワーは苗を買って植えました。大根、白菜、レタスの種をポットに蒔きました。運よく発芽率100%でした。まだまだ芽を出したばかりですから、この気候に対応できるかどうか。それ以前に、収穫したらどんな風にして食べようかと考えています。

 

 種を蒔く人は救い主ご自身であり、畑はこの世界です。主はイスラエルで地上の生涯を歩まれたが、その種は全世界に広まっています。全世界は、主のご自分の畑です。良い種を蒔くために、多くの収穫があるように、その地も良くする必要があります。福音を聞き、救われた私たちは、良い種に相応しい良い地に変えられていくことが必要ですね。この改良も主のなさることですね。主に信頼し、委ねる者は多くの祝福を得ることが出来ると教えられます。

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