晩秋の夕暮れは、人を急がせるような気がします。
今年もイチジクが多くの実を着けました。いつもならとっくに鳥に食べられてしまっているのに、今年は鳥の食害はありません。こんな年も珍しいと思います。
聖書を読んでイチジクと言えば、徴税人ザーカイが思い起こされます。イエスが街を通られるのを知って、背が小さい為にイチジクの木に登ってイエスの通るのを見ていたのです。僕たちの身の回りにあるイチジクは、人が登れるような木ではありません。他の聖書には、イチジククワと記されたものもあります。桑の木もイチジクと同じ仲間ですから、ザーカイの登ったイチジクは種が違うのだと思います。
そんなザーカイの姿を見られたイエスは、ザーカイに声をかけました。『今夜あなたの家に泊まりたい。』ザーカイは言いようもない喜びに浸ったことだと思います。そして同じ徴税人マタイのことを、聞いていたかもしれません。ザーカイはイエスに言いました。『私は財産の半分を貧しいい人に捧げます。また、だれかからだまし取った分を4倍にして返します。これはザーカイの悔い改め、信仰告白に他ならないと思います。
イエスの言葉『今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救う為に来たのである。』これこそ人間性の回復です。
失われたもの、これは本来人が持っていたもの。欲と罪の中でなくしてきたものだと思います。