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降誕前夜
 

夕方から降り始めた雪が、この時間には2cmくらいの積雪になっています。雪景色は美しくもありますが、寒いのが難です。いつの頃からか僕は、雪景色の美しさは、コタツにあたってテレビで見るのが一番のように思うようになりました。とはいえ、雪の降るこの町から離れることは出来ません。


今日は、クリスマスイブ。降誕前夜です。いまや日本では、クリスマスは国民的行事になりました。そんなクリスマスに一人でいるなんて考えられないと言うのが、今の若者達でしょう。もしあなたが一人でこの夜を過ごし、イエスキリストのことを少しでも心にかけてくれたとしたら、他にはないとてもいい夜を過ごせるはずです。あなたのもとに、神様が来てくださるからです。きっとあなたは、祝福を受けるでしょう。神様とあなたとの時間を大切にすごしてください。





 起きよ、光を放て。

あなたを照らす光は昇り

主の栄光はあなたの上に輝く。 
 <旧約聖書イザヤ書
6012>

 

僕が幼かった時、クリスマスも何も訳がわかるはずがなかったと思います。朝起きてみると、妹と僕の枕元に、赤い長靴が置いてありました。もちろん中身はお菓子です。思ってみれば、親心ですね。感謝です。

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過ぎし日よ、なつかしい友よ、
 

年の瀬も迫って、一年のけじめをつけなくてはと思うと、考えるだけで忙しい思いです。

そんな折、以前にNHKで放送していた名曲アルバムを思い出したのです。その中で僕の心に強く印象深く残っているのは、スコットランド民謡“Auid lang syne。日本では蛍の光といいます。

蛍の光は日本では、別れのときに歌われる曲ですが、スコットランドではいろいろな場面で、様々な集会などでよく歌われるそうです。その歌詞の和訳を捜してみました。この歌の背景にはどのようなものがあるのかを知りたくなります。

 


昔の過ぎし日々よ

幼なじみが忘れるわけがない。
思い出さずにはいられない。

昔の友達を忘れるはずないじゃないか。
過ぎた昔の日々を。

僕の友達、昔の懐かしい日々に乾杯しよう。
真心の杯を。

二人で丘を駆け回ったり美しい葡萄をつんだりしたね。
二人で疲れ果てるまで随分歩き回ったこともあったっけ。
ずっと昔のこと。
二人で小川で水遊びしたね。
朝日が射すころからお昼まで。

・・・けれども大海が唸りを立てて二人を分けた。
ずっと昔に。

さあ、僕の杯に酒を汲んでくれ信ずる友よ。
そして君の杯を僕にくれ。

ぐっと一気に呑もう、懐かしい日々のために。
そして君は君の一杯の盃、
そして君は僕の一杯の盃も、
我々は真心の盃を挙げよう、
懐かしい日々のために。

 

きっと強い絆で結ばれた二人の物語なんだろうと思います。前回も書きましたが、今年を表す漢字で選らばれたのは、『絆』でした。美しいい言葉です。

絆と言うものは、心と心のうちに堅く結ばれ一元的なものではなく、人と人との魂をも結び合わせるものではないでしょうか。

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今年を現す漢字『絆』
 

 辺りの風景は、もう冬の訪れを間違いなく僕たちに知らせています。ここから見える恵那山、木曽駒ケ岳は、もう何回か頂に雪をかぶっていました。

厳しく寒い時こそ、人の心の温かさに触れたい。
 今年も後半月ばかりを残すだけになりました。国内を見ても、世界を見ても、来年に希望を持つことはいささか困難な気がします。今年は・・・ 今年も・・・そして今年こそと言った意気込みは遠い昔の話のように思えてきます。

 

 いつものように今年一年を現す漢字が決まりました。今年は『絆』だそうです。人と人との絆は、美しく力強く思えます。信仰者として言うならば、主にあっての兄弟姉妹の絆が時を越えて、地の果てまで広がってゆく事を願いたいです。時間と忍耐の戦いではありましょうが、平和の主が共にいてくださいます。

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心静か


 ケーキを食べて、ゲームで遊んで、カラオケに行って、歌ってお酒を飲んでみんなで楽しむクリスマス。これはこれとして、クリスマスは神の御子、イエスキリストが罪人の救いの為にお生まれになった記念の日です。キリストは、私達罪人のためにこの世に生まれたのです。と語れば、いいえ私は罪など犯していませんと言う人は多くありましょう。しかし神に背を向けること、このことこそが罪なのです。

人は、直接神と向かい合うことに耐えることは出来ません。神と私達の間に仲保者として働かれるのが、神の御子イエスの恵なのです。真の心から神を正しく理解し共に喜び、感謝を捧げたいと思います。神の御心に触れるときに、その愛の大きさがわかります。まさにアメージンググレースです。

 

 
イエスキリストが、人類の救済のためにこの世に遣わされた。このことは聖書の多くの箇所に記されています。

 

『神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。』このように記されています。また他の箇所では、『主はその腕で、力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力のある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた者を良い物で満たし、富める者を空腹のままで追い返されます。』とも記されています。

 アドベントクランツには、二本目の蝋燭に火がともりました。御子イエスキリストを世に遣わされた神の愛の大きさを身に感じ、心静かにクリスマスの日を待ち、共に祝いましょう。
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