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与えられる知恵
 

今日は久しぶりの快晴のように思えました。このところづっと思い雲の垂れ込め雪がちらつく日が続いていましたので、少しばかり嬉しい気分に浸りました。地に這うように生えているイヌノフグリをつぶさに見ると、ひとつふたつと花をつけています。大寒のうちにあっても、春が近づいて来ています。四季の移ろいは、ノアの洪水の後に神が約束されたものです。

 『地の続く限り、種まきも刈入れも暑さ寒さも、夏も冬も昼も夜も、やむことはない。』(創世記822
 巡る季節は神の恵みです。先人達は、その季節ごとになすことをなし、また、先の季節を読んでは食糧を貯え収穫のない季節にひもじい思いをすることがない様にと食糧にと干したり、漬けたりしてきました。神が人にお与えになる知恵は計り知れません。のどかに巡る季節の風景を眺めて、歌を詠んだりしていた人はほんの極僅かでしょうね。

 

 午前中は、息子と久しぶりに温泉に行きゆったりとしてきました。今僕は肩と腕を痛めているので温泉での養生は痛みを癒してくれるかもしれないと思うのです。神から頂いた大切な体です。自分をもいたわることを忘れないようにしたいものです。
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求めるこころ


あ〜 きょうも疲れた。仕事にそして人間関係に・・・。

なにも考えないで、ボッ〜とする時間があっても良いと思います。これも大切な時間。

渇いた心に・・・心の真中にポカッとあいた穴に・・・

それを満たしてくれる何かを僕はずっと求めています。そして捜しています。








物質的に豊かになってなんでも欲しいものが手に入るんですね。このごろは。

でもその反面、人の心は貧しくなり虚しく冷たい風が通り抜けてゆくだけです

ある者は、自らの欲求を満たす為に罪をも犯し、またある者は、財を貯え悠々と暮らすことを悦ぶ。
でも、そんなもののすべてを失った時に手元に残るものってなに?
足元を見たら、後ろを振り向いたら何もなかった。この世の形あるものは全て虚しい。

僕が生まれる前からあるもの、僕と同じ時を過ごしてきたもの、
もしかしたら天地創造の時からあるものかもしれない。僕が捜し求めているものはこれだと思うのです。しかし形も色も大きさも測り知ることが出来ないもの。
これは僕の遺伝子の中に組み込まれていて、心の中に眠っている忘れかけているものを呼び覚ましてくれる大きな力を持って僕に臨みかけているような気がするのです

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通ずる心
 

115日。一昔前は、成人の日で休日でした。1月も半ばとなり、この寒さも後2ヶ月くらいかと、今年も春の訪れを待ちに待っているこのごろの僕です。春一番に咲くマンサクはまだ枯れ木のようで、まだ遠い春を僕に知らせているようです。しかし冬来たりなば春遠からじと言います。あせらないで待ちましょう。

 さて昨年、同じ神学校卒業の方々とお会いする機会が与えられました。その中のお一人と、たまにお互いのブログにコメントをつけています。彼のブログのリンクには、僕を含め幾名かの人を『同じ旅をする人』と紹介されています。


 僕の心の中には、ずっととげがあるのです。僕は、近況と僕の心のうちを彼のブログにコメントを送りました。そのところ思いもしない返事をいただいたのです。彼もこれから経験するであろう僕の心のとげに、彼の心を重ね祈ってくださる。彼のこの言葉に僕は、思い余りて言葉足りずの心境です。同じ信仰を持つものとして、ここには絆とは異なったものが生まれ出たように思うのです。

 

 
彼の言葉の一節 
「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。」
新約聖書:マタイによる福音書18章19節)>ですから私は、心を一つにして、原先生の祈りに加わろうと思います。
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上を向いて歩こう
 

 昨年の初冬に柿を採り、幾つかを木に残して干し柿を作りました。いつもの年なら残しておいた柿が熟れる頃には、鳥がやって来て食べてしまうのですが、今年は今になってもそのまま残っています。夏にもそうでした。家の片隅にグミの木があるのですが、それも鳥が食べに来た様子はありません。野鳥に何らかの異変が起こっているのではないかと思うのです。




  今日は穏やかに晴れた一日でした。きっと朝の冷え込みは厳しいと思います。礼拝を終わって、遠くの山並みを眺めながら車を運転していました。青い空はなんとも美しいものだとしみじみ心に感じながら。そしてふと、『上を向いて歩こう』の歌が思い浮かんできたのです。♪上を向いて歩こう。涙がこぼれない様に・・・♪ 

 以前のブログに書きましたが、昨年7月に僕は母を亡くしました。そして母のこの先の人生を神に委ね、祝福を祈ったのです。僕の両手の中で息を引き取った母。その悲しみに浸って生きている僕の今の現実です。祈りに涙がついてきます。両親との死別は誰もが経験する現実的な出来事です。だからと言って踏ん切りをつけること出来ないままでいる弱さ、これも僕の姿の一面なのです。

 この悲しみを心に刻みつけながらも、いつかは何でもなかったかのように過ごせる日をきっと迎えることが出来ると確信しています。

 そして更なる希望は、主の再臨と死者の復活です。そして地にある者も全て天に上げられる日。聖書は、死者は天に上げられるのですが、天で再び亡き母、亡き父と会えるとは教えていません。しかし、僕は再び互いに会い見える日が来ることを祈るのです。この祈りが神に届き叶えられる日まで。この希望があるからこそ、明日も生きてゆけるのです。

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私達は、神の家族
 

2012年が明けました。今年の世相はどうなるのか。年明けからこんなことを考えてしまいました。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。このところの寒波で、はるか遠くに見える木曽駒ケ岳は真っ白になりました。その地肌が見え始めたら、春はもう近いです。

 今年も神の愛によって、すべての者が微笑みを浮かべて暮らすことが出来るように、祈り願っています。



既に天にある者も、地上にある者も、ユダヤ人も異邦人も、父なる神から出たすべての者が『神の家族』と呼ばれるのです。私達は、神の愛によって堅い絆に結ばれた、神の家族であり、愛する兄弟姉妹です。モーセに率いられ40年近い旅を続け約束の地を目指したのは、共同体と呼ばれる人々の集まりでした。教会も神に率いられる共同体に他なりません。思いを同じゅうし、共に祈り、支えあう力をますます豊かに与えられますように。

神の愛によって結ばれた絆は、決して緩むことはありません。

 ヨハネの手紙の一にこのような御言葉があります。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを閉め出します。」私たちは、ここで愛に満ちておられる主に出会うのです。主が私たちに近づいて、あふれるばかりの愛を注ぎかけ、私たちの生かし、支えておられる。その愛をもって、私たちは、ここから出て行くのです。愛をあふれるばかりにいただき、その愛によって歩む生活をここからはじめていきたいと願います。
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