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春だ、だよ。
 

まもなく4月と言うのに、今日も昨日も雪が舞いました。ウグイスのさえずりを聞き、そしてちらほらと咲き始めた梅の花を見ながら、やっと春がやってきたんだと思っていました。雪が舞ったからと言って季節が逆戻りすることはあり得ないので、不順な天候と言うことです。ニュースによると、2010年までの10年間の地球の気温の上昇率は過去最高値だそうです。二酸化炭素排出削減策の対策を早急に講じなくてはならないと述べられていました。次の世代に健全な環境を残す為に、僕達は今何をすべきなのかをもっと具体的に真剣に伝えること。そしてそれを実行することだと思うのですが、このような考え方は少数派なのかもしれません。世の中には矛盾がまかり通り、様々なしがらみがありますから強く言えない部分もあることは確かです。経済発展優先、朝の命よりも今日の快楽的志向。

 

 2週間後は、主イエスキリストの復活祭です。何一つ罪を犯さなかったイエスが、十字架に掛けられると言う、恥辱に満ちた死に方をしなければならなかったのです。イエスを十字架の死へと向かわせたのは紛れもない人の仕業です。イエスを信じるものが、誰一人として滅びることなく永遠の命を持つようにと、この世に遣わされた者の最期の姿です。しかしキリストは人類の最後の敵である死に勝ち、死人中から甦った最初の人です。自らを十字架に追いやった人を赦し、地上での死の後も更に生きるようにと道を開いてくださったキリストの愛に心を留めてみましょう。

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その姿美しく
 

 今日は春分の日、太陽が春分点を通る日です。そして仏教では彼岸の中日。何か関係があるのかないのか、いづれ調べてみようと思います。古くから、暑さ寒さも彼岸まで。と言います。 丁度この時期が、その頃にあたり、春を待つ心の拠り所となったり、残暑が納まる頃の目安であったりするのでしょうね。そしてまた今日は、JTJ宣教神学校の卒業式でもありました。それぞれ目的を持って学ばれた方々がその課程を終え、世に遣わされてゆく意味深い日でもあります。

僕も卒業後、丸2年を経ました。その日を思い起こしています。あの時確かに古い上着を脱ぎ捨てました。そして新しくされた事を確信しました。宣教のためなら、その命をも差し出すことをもためらうことはありませんか。と問われたとき、確かに「はい。」と答えたのです。今もその心は変わらないと言うことが出来ます。


僕達はキリストによって、当人の意思とは関係なく日々新しくされています。ですから、古い上着は日ごとに脱ぎ捨ててゆきます。日々新しくされているのに、いつまでも古い上着を着ているのは不釣合いと言うものです。新しいぶどう酒は、新しい皮袋に入れなければならないことと同じです。

でも人には、物への愛着心と言う感情があります。それはすばらしい感情です。もちろん僕の心の中にもあります。しかし、いつまでもそこに留まっていていることは神の御旨ではありません。花がその蕾の皮を破って、美しい姿を現す様に、僕達も古い上着を脱ぎ捨てて、神の栄光を顕す器としての働きが出来るようにと祈り続けましょう。
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東風吹かば。
 

「東風吹かば匂い起こせよ梅の花主なくとも春を忘るな。」と歌ったのは菅原道真です。このところの悪天候の連続、暖かくなったり寒くなったりと言う気候の中で、僕は季節に乗り遅れてしまっていたようです。昨日外に出てみると、ウグイスのさえずりが聞こえてきました。別のところでは、カエルの卵を見つけました。人は知らなくても、そう言うよりは人はわからなくても、創られたものは時を知っているのですね。




自らのことだけに気を遣っていると、周囲については盲目になってしまうものなのだと思わされました。これは身の回りとの関係を希薄にする様なもので、その結果、大切なものを失い兼ねないのです。神は兄弟姉妹の交わりを厚くし、その中で相互に成長してゆくことを勧めています。

震災から一年を経ました。被災された方々の心情を察するに余りあります。復興が滞る中で、将来への不安を抱いての日々の暮らしは、言葉に出来ないものがあると思います。

僕は、がんばろうとは言えません。もう十分にがんばっておられると思うからです。

原発からの放射性物質から逃れて避難して見える方々の家の庭先にも、きっと春の兆しがあるはずです。・・・主なくとも春をわするな。
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人生の応援歌
 

3月になり朝晩の冷え込みも緩やかになってきました。三寒四温と言われる時期になってきたのでしょうか。春となっても国の情勢は冷え冷え。国内だけでなく世界の情勢もそうですね。人の歴史は、これを繰り返して来たのかも知れません。目先の苦境、今の苦難からしばし目を離して、キリストの愛と賜る平安のうちに留まりたいといつも願っています。

かの震災からまもなく一年がたちます。震災について企画したテレビ番組を見ていると、改めてその恐ろしさに身が震える思いです。直接の被災者の方々の思いを、僕はとても測り知ることは出来ません。

そんなテレビ番組を見ながらふと、すべての人の心に花を。・・「花」と言う歌を思い浮かべました。おおたか静流さんと言う人がとても綺麗な不思議な声で歌っていました。

 

川は流れてどこどこ行くの。人も流れてどこどこ行くの。
そんな流れがつ頃には、花として花として咲かせてあげたい
泣きなさい。笑いなさい。いつの日かいつの日か花を咲かそうよ。


涙流れてどこどこ行くの。愛も流れてどこどこ行くの。

そんな流れをこの内に、花として 花として迎えてあげたい。
泣きなさい。 笑いなさい。いつの日かいつの日か花を咲かそうよ。


花は花として笑いもできる。人は人として 涙も流す。
それが自然の 歌なのさ。心の中に 心の中に花を咲かそうよ。
泣きなさい。 笑いなさい。いついつまでも、いついつまでも花を掴もうよ。
泣きなさい。 笑いなさい。いつの日かいつの日か花を咲かそうよ。

 

 悲しい時に歌いたい歌。何気なく口ずさんでしまう歌。様々な場面に、その時々の歌があります。そして人生を応援してくれる歌が沢山あります。

 僕達の日々は世との戦いです。いつの日にか勝ち歌を歌い、主なる神の前にひれ伏す日が訪れる時に望みをおきましょう。
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