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表と裏
 

 連日の猛暑に、熱中症の話題がニュースにならない日がないほどです。そしてもう一つの熱さがロンドンオリンピック。メダルの獲得数を予想し、本国へ何個のメダルを持ち帰ることが出来るかの話題も絶えません。確かにメダル獲得は出場選手にとって、目指すところではあると思いますが、僕は殊にマスコミが、メダル獲得に執着しすぎているような気がしています。

  表彰台でメダルを噛んで見せる選手の姿をよく見ます。日本人だけのものかなと思って見ておりましたら、外国の選手もメダルを噛んでいました。僕は「お主もなかなか、悪よのう。」と金子を渡す悪代官と越後屋の主の取引で、金子を噛んで確かめる光景を思い浮かべるのでした。

 こうした華々しい舞台の裏側では、平和とは程遠いとも言えるシリアの内戦。国内を見れば、震災のために今なお、快適とは言いがたい避難生活を余儀なくされている方々。水害からの復興のために労されている方々があることを心に留めておかなくてはならないと思います。
 美しい炎を燃やすためには、灰と化すものが必要です。僕達の現在、そして未来には、キリストの十字架の苦難と復活の恵があるのです。多くの場合、その裏側で、今風に言うならばそのバックグラウンドで、支えとなったり犠牲となったりするものが必ずと言っていいほどあるものです。直面する物事から一歩引き下がるとき、それが見えてくると思います。



 ロンドンは僕が初めて訪れた外国の町です。ヒースロー空港に着いて、日本と同じ空気を吸っているんだ・・・と感動したことを覚えています。今でも強く印象に残っているのは、バッキンガム宮殿の衛兵の交代の情景です。エリザベス女王を身近に感じました。

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区切りをつける時
 

静寂な夜、カエルの声の他に虫の声が加わる時期になりました。梅雨が明け、本格的な夏の訪れの予兆です。母は子供の頃、クサキョウチウトウの花が咲くと、盆が近いと思い嬉しかったと語っていました。自然は僕達にいろいろなメッセージを伝えてくれるものです。



 母の死から一年の歳月を経ました。カラスの鳴かない日はあっても、母のために祈らない日はありませんでした。母の死の現実を受け入れる心が与えられるまでには、相当の日数を費やしたように思います。墓標に母の名を刻んだ時、この時が僕にとっての一区切りの時となりました。人によっては、肉親或いは親しい者の死が、その後の人生に蔭を落とすことも少なくはないと思います。人の死について考えさせられることの多かった一年でもありました。

人の人生は死で終わるのではなく死はある意味、新しい人生の始まりでもあります。キリストはご自身の復活によって、僕達に希望を与えてくださいました。そして、人生の重荷はキリストが共に担ってくださる。このことを思い起こし、そろそろ前向きな人生に方向を変えるべき時ではないのかと声が聞こえるようです。

新しい週が始りました。共に主の祝福と守りがありますように。
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明日には希望がある
 

雨の日の夕方のヒグラシの声は、少しばかりもの悲しい感じがするように思われます。今日はそんな日でした。

 学校でのいじめは、いじめられた当人が自ら命を絶ち、いまや警察が介入するほどに深刻な事態にまで重篤な問題になっていることに衝撃を受けています。いじめは僕が中学校の頃にもありました。当時は、“いじめ”と言う言葉ではなかったように記憶していますが、差別であったり、無視であったりと本質的にはいじめと変わりはないと思います。

 僕の友達の一人が中学校の時、いじめにあっていたことを話してくれたことがあります。

その境遇は、僕と同じでした。僕もいじめられたひとりです。そして登校拒否もしました。

そう言う僕の傍らで、両親と担任教師の困惑を垣間見ながらも、学校に行こうとする気が全く起こらなかったことをよく覚えています。

 そんな頃僕が心にしていたことは、“大人になったら奴らを見返して、僕の前でひざまずかせてやる。”こう言う思いでした。今となっては遠い過去の話ですが、僕の友達も同じことを考えたそうです。そのために僕達がしたことは、まず勉強をすること。そして多くの資格を取ることでした。

 ですからいじめられていても、自らの命を絶とうという考えに及ぶことはありませんでした。いじめの質も時代と共に変化があり、陰湿になってきている傾向は強く顕れています。袋小路に追い込まれ、もう逃げ道がなくなってしまった。おそらくこういう状況に悲観した結果が死の選択だろうと思います。

 逃げることがよい意味に使われることは多くはありません。しかし、逃げる勇気が必要なこともあります。その逃げ場が家庭であり、社会でなければならないと考えるのです。家族関係が希薄になってきている時代となって来たことは否定できません。社会について見ればなおさらの事です。僕もその社会を構成する者のひとりです。人の心の奥底には、厄介なことには関わりたくないと言う思いが必ずあると思います。僕にもあります。





 この国の将来を担う青少年が、自らの命を絶とうと言う思いに至る社会ではなく、自らの将来に夢を抱き、大きく羽ばたける社会をつくることが、この国の国民としての責任ではありませんか。そう言う僕には、何が出来るか。今は、祈ることしか出来ません。

 

“自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。”
<旧約聖書:レビ記19章18><新約聖書:マタイによる福音書22章39>
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塩の柱
 

201271

 

『 塩の柱 』

創世記1917節〜29


彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」
ロトは言った。「主よ、できません。あなたは僕に目を留め、慈しみを豊かに示し、命を救おうとしてくださいます。しかし、わたしは山まで逃げ延びることはできません。恐らく、災害に巻き込まれて、死んでしまうでしょう。御覧ください、あの町を。あそこなら近いので、逃げて行けると思います。あれは小さな町です。あそこへ逃げさせてください。あれはほんの小さな町です。どうか、そこでわたしの命を救ってください。」


主は言われた。「よろしい。そのこともあなたの願いを聞き届け、あなたの言うその町は滅ぼさないことにしよう。急いで逃げなさい。あなたがあの町に着くまでは、わたしは何も行わないから。」そこで、その町はツォアル(小さい)と名付けられた。


太陽が地上に昇ったとき、ロトはツォアルに着いた。主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。アブラハムは、その朝早く起きて、さきに主と対面した場所へ行き、ソドムとゴモラ、および低地一帯を見下ろすと、炉の煙のように地面から煙が立ち上っていた。
こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。






















 

 本日の話の舞台となるソドムの町について、先ずソドムがどのような町であったかを、お話したいと思います。ソドムはアブラム(後のアブラハム)の甥であるロトが住んだ町であります。ヨルダン川の低地一帯であり、ツォアルと言う町に至るまで神の園のように、エジプトの国のように見渡す限りよく潤った町であったと聖書に記されています。

 アブラムはロトに語りました。私達は親類同士だ。あなたと私との間で争うのは止めよう。あなたの前には幾らでも土地があるのだから、ここで別れようではないか。あなたが左に行くなら、私は右に行く。あなたが右に行くなら、私は左に行く。」こうしてロトが選んだ土地、これがソドムでありました。

 しかし、ソドムの住民は邪悪で、神に対し多くの罪を犯していたのです。また神は、ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。私は下って行き、彼らの行跡が果たして、私に届いた叫びのとおりかどうか確かめよう。と神ご自身が確かめに行かなければならないと思うほどに、乱れた状況でありました。

 

 ここで罪について考えてみましょう。

 神がモーセに十戒を与える以前には、罪に対する認識を人は持っていませんでした。律法によって人は何が罪であるかを知ったのです。律法は人類の幸福のために神が定められた尊いものです。律法の本質は、教え、導き、そして道です。しかし、人は、エバが神からの言いつけを守ることが出来なかったように、或いはイエスを試そうとした律法学者のように、あたかも律法を守っているかの様に装うことは出来ても、律法を守ることは出来ないのが人であるのです。

 ハイデルベルグ信仰問答の問三をご紹介します。

 何によってあなたは、あなたの惨めなことを認めることが出来るのですか。

 答:神の律法によるのです。

 律法を行なうことによっては、すべての人は神の御前に義とされることはありません。律法によっては罪の自覚が生じるのみなのです。ローマの信徒への手紙には、このように記されています。

 神の律法が、私達に要求することについて、キリストは、律法の内容をマタイによる福音書22章の中にまとめられました。それは、『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、神なるあなたの神を愛しなさい。これが一番大切は第一の戒めです。第二もこれと同様です。自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。これらの二つの戒めに、律法と預言者とがかかっているのです。』と言うこの御言葉です。ハイデルベルグ信仰問答 問四では、あなたはこれらの全部を守ることが出来ますかと問うています。答には、出来ません。と明言されています。この答に反論できる人はいないでしょう。

 

 では人の世の法律、端的に言うならば、これは律法という漢字の、法という文字と律と言う文字を入れ替えたものです。法律は人が定めたもので、やはり人々の幸福のためと言うのが最高の目的であり、社会の秩序を守り広く人々が安心して暮らせる社会を創る基盤となるためのものでありましょう。しかし、この法律を堅く守ったために命を落とした二人の人がありました。時は戦後の混乱期です。闇市によって、人々が命を繋いでいた時代です。戦争を知らない私の語るべきことがらではないと思うのですが、連続テレビ小説「うめちゃん先生」を見ておりましたら、この話題の場面がありましたので、当時の食糧事情について調べてみました。

 

当時の状況は、食糧不足により配給される食糧はきわめて乏しく、成人一人あたりの米の配給量は21(300グラム)しかありませんでした。それでもおかずがいっぱいあれば、主食はこの程度でも足りるのですが、当時はおかずといえば、漬物がせいぜいでした。動物蛋白として、貧弱な干し物を一週間に一回か二回食べられれば、恵まれた方であったそうです。

 また、21勺の米も、ほかにイモとかカボチャなどの配給があれば減らされ、さらに一週間から一ヶ月におよぶ配給の遅れはしょっちゅうでした。このため、飢え死にしないためには、法律で禁じられている闇米を利用しないわけには行かなかったのです。この時期、闇米を買わなかった家庭は殆どなかったといっていいそうです。そうした中にあって、断固として闇買いを拒否し、餓死に至った二人の人の存在がありました。

一人は、旧制東京高校のドイツ語教授であった亀尾栄四郎氏で、「いやしくも教育者たる者、表裏があってはならぬ。どんな苦しくても、国策に従う。」という固い信念のもとに、配給の食糧だけで六人家族を養っていました。しかし、六人が三日間に食べる配給がネギ2本といったこともあったそうです。教授は、自分は殆ど食べずに、子供たちに食物を与えていましたが、ついに力尽き亡くなりました。

もう一人は、食糧難で国民のほとんどが闇買いをして生き延びていたとき、配給だけで生活をしていた一人の判事の死亡です。この出来事は、世間に大きな衝撃を与えました。この判事は、東京地方裁判所で食糧の闇売買を中心にした経済統制違反を担当する山口良忠氏で、昭和22年10月11日のことでありました。

世の中には、必要悪と言うものが必ずあります。この闇市もそのひとつであったはずです。情状酌量と言うことがあるように、法にも情というものが介入する余地は十分にあると思うのです。

 

 さて、

ソドムの町に二人の御使いが訪れました。時は夕方です。ロトはソドムの門のところに座っていたと記されています。ここには公会所があり、町の取引などはこの場所で行なわれていました。そこで市場が開かれたり、もめ事や事件があれば裁判が開かれたり、また政治が行われたりしていました。つまりロトが門のある広場に座っていたとは、悪徳の町ソドムにおいて、唯一良識を持ち合わせた人間として、人々の裁判官になっていたということであると言われています。

ロトは、ソドムの町の住民の邪悪さをよく知っていましたので、広場で夜を過ごすと言う御使いをロトは家に招きもてなしました。広場とは、町の中にあり、旅人が宿を見つけることが出来なかった場合には、この場所で一夜を明かすことが普通でした。広場は城壁で囲まれて外部からは保護されてはいましたが、屋根のある場所ではありませんでした。

 このことを知ったソドムの町の男達は、ロトの家を襲撃します。これは汚れた欲望を抑えも隠しもせず、ロトの家にいる御使いを嬲るためでした。これに対してロトは御使いを守るために、自分にはまだ嫁がない娘がいるので、その娘を差し出すから好きなようにしてくださいと言うのです。その代わり御使いたちには何もしないようにと。

 古代の中近東では、客人をもてなすことはひとつの大きな美徳であり、また人格に関わるかのように意識されていました。ロトが自分の家に招きいれた御使いを、自分の娘を犠牲にしてでも守ろうとする、今日の常識ではとても考えられることではありません。

士師記にもこのような記述があります。『彼らがくつろいでいると、町のならず者が家を囲み、戸を叩いて家の神人と老人に言った。「お前の家に来た男を出せ。我々はその男を知りたい。」家の主人は彼らのところに出て行って言った。「兄弟達よ。それはいけない。悪いことをしないで下さい。この人が私の家に入った後で、そのような非道な振る舞いは赦されない。ここに処女である私の娘と、あの人の側女がいる。この二人を連れ出さすから、辱め、思い通りにするがよい。だが、あの人には非道な振る舞いをしてはならない。」このように、同類の事件が記されていることから、この時代には考えられないことではなかったようです。

 ロトの家にいる御使い・客人を嬲るため。また士師記の記述でお話しました、我々はその男を知りたいのだ。と言うことは、ローマの信徒への手紙(127節)でパウロが指摘していますが、男同士で情欲に燃え恥ずべきことを行なう。つまり同性愛を指しており、ソドムの人たちの罪深さをあからさまに物語るものです。

 事の良し悪しは別にしても、昨今では同性愛について世の中は、柔軟な受け止め方になってきているようで、当事者である本人も自らが公にする傾向があります。

 神が御使いをソドムの町に使わした目的は、ソドムの現状を調査することにありました。そしてその現状に、ソドムの町を滅ぼす決心をされたのです。御使いの「この町から逃れなさい。さもないとこの町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。」この警告にどうしたことかロトは積極的に逃れようとはしていません。神はロトに憐れみの手を差し伸べ、そうしているロトとその妻、そして娘を御使いによって町外れへ連れ出しました。救われるためには、神様のみ言葉に従えば良いのだと、それは十分に分かっているのです。他に道はなく、迷う必要などないのだということも分かるのです。しかし、それでも恐れや不安が襲ってきます。「信じて、行動しなさい」と、神はロトの心に繰り返し訴えたと思うのです。それでも、ためらうことばかりに時間を費やし、従うという勇気、そして決断が出来ないロトの弱さを垣間見ることが出来ます。

 

 神は言われました。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはならない。低地のどこにも留まるな。山に逃げなさい。さもないと滅びることになる。」滅びることになる。この言葉は、拭い去ると言う意味で用いられます。逃げることに躊躇するロトとその家族は、神の憐れみにより言わば無理やりソドムの町から連れ出されたのです。このようにロトは町を捨てました。「後ろを振り返ってはならない。」神のこの言葉は、ロトのそうした思いに対する警告であったと察することが出来ます。

 ロトは神に、神が指し示すように逃げのびることは出来ないと言います。そこで神はロトが示した小さな町・ツァオルにまで逃げのびた時、命を救うことを約束されました。太陽が昇った時、ロトはツァオルに着き、神はソドムとゴモラを滅ぼされました。ところがロトの妻は、神の言葉に従うことが出来ず、後ろを振り向いたので、塩の柱となったのです。神が救いの約束をされたにも関わらず、自分が救われる為に捨てるべき物に執着を覚え、心残りをもって振り返る人の弱さの典型であります。

 625日は、昨年亡くなった母の誕生日でした。生きていることが出来たならば、80歳の誕生日であったのにと心の内に思いを巡らし、死んだ子の年を数えるとは、まさにこのようなことなのだろと思うのでした。誰も程度の差こそあれ、自らの過去に悔いや未練を残す人生を送って生きていると思います。そしてそのことが、人生を消極的にしたり、今の人生や、この先の人生に蔭を落とすことがないとは言い切れません。

 しかし、イエス・キリストを神の子と信じ、信仰に立つ私達の人生には、神が示された未来への約束があります。過去の悔いや未練を記憶に留めはしても、それを引きずって生きてゆくことは大変な重荷になります。重荷はキリストが共に担ってくださいます。ですから私達は、安心して今日を生き、明日をも生きる希望を持つことが出来るのです。

 

モーセに率いられたイスラエルの民も、神の救いの約束を忘れてか、旅の困難からか、

不平を言いました。「我々は、エジプトの国で、主の手にかかって死んだほうがましだった。あの時は肉の沢山入った鍋の前に座り、パンをいっぱい食べられたのに。あなたたちは我々をこの荒野に連れ出し、この全会衆を飢え死にさせようとしている。」

 私の前に道はない。私の後に道は出来る。人は、未来を確実に手にすることは出来ません。言わば雲をつかむようなものです。しかし、通ってきた道は確実に残るのです。

 聖書の教える勧めは、私達のなすことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。

イエス・キリストを通して神が指し示された救いの確かさに目を向け、イエス・キリストの十字架の死と復活によって生かされている恵みに感謝を捧げつつ、死に至るまで忠実に神の言葉に耳を傾け、聞き従う人生でありたいと願います。
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心に響く
 

真っ白な雪道に春風香る。私は、懐かしいあの街を思い出す。

叶えたい夢もあった。変わりたい自分もいた。
今はただ、懐かしいあの人を思い出す。

誰かの歌が聞こえる。誰かを励ましてる。
誰かの笑顔が見える。悲しみの向こう側に。

花は、花は、花は咲く。いつか生まれる君に。
花は、花は、花は咲く。わたしは何を残しただろう。

 

夜空の向こうの朝の気配に、私は、懐かしいあの日々を思い出す。

傷ついて、傷つけて、報われず泣いたりして。
今はただ、愛おしいあの人を思い出す。

誰かの想いが見える。誰かと結ばれてる。
誰かの未来が見える。悲しみの向こう側に。

花は、花は、花は咲く。いつか生まれる君に。
花は、花は、花は咲く。わたしは何を残しただろう。

 

花は、花は、花は咲く。いつか生まれる君に。
花は、花は、花は咲く。わたしは何を残しただろう。

花は、花は、花は咲く。いつか生まれる君に。
花は、花は、花は咲く。いつか恋する君のために。

http://www.youtube.com/watch?v=sg-VnmaRmIc&feature=related

 

 

 しみじみと聞き入ってしまった久々の曲です。復興支援ソング「花は咲く」。僕にも叶えたい夢がありました。そして変わりたいと思う自分もいました。多くの人と関わりを持ち、懐かしく思う人もあります。しかし、関わりを持った全ての人と善い関係が築けたわけではありません。悲しい別れも多くありました。

 僕が、いずれ訪れる世を去る時、それまでの間、僕は人のために、社会のために何が出来るのだろうか。この世に名を残そう等とと言うことなど思ってもいません。ひとりの信徒として、神の栄光を顕す器として用いられることを祈りつつ、そんなことを考えています。
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こころ静か
 

 早いもので今年も半年が過ぎました。この半年、僕はいったい何をしてきたのだろうと思い返しても際立ったものはありません。家と会社の行き返り。畑を耕し、教会に行って。そんな平凡な毎日だったような。しかしその平凡な生活の中に、幸福があったように感じています。心の穏やかに過ごせること、このことが僕にとって一番の幸福なのです。現実的には喜びよりも、不安や悲しみ、それに憤りもあります。それでも幸福なのです。神が賜る平安とは、このようなことだろうかと思うのです。

 

主があなたを祝福し、守られますように。

主が御顔をあなたに照らし、恵まれますように。

主が御顔をあなたに向け、平安を賜りますように。

     <旧約聖書:民数記6章24>


 僕の家の周りには、ホタルブクロの花が咲き誇っています。母は、“ちょうちん花”と呼んでいました。母の生地、木曽ではこのように呼ぶようです。確かに、提灯です。
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