2012年10月7日
聖 書:エゼキエル書33章7〜11節
『 立ち帰るとき 』
人の子よ、私はあなたをイスラエルの見張りとした。あなたが、私の口から言葉を聞いたなら、私の警告を彼らに伝えなければならない。私が悪人に向かって、『悪人よ、お前は必ず死なねばならない』という時、あなたが悪人に警告し、彼がその道から離れるように語らないなら、悪人は自分の罪の故に死んでも、血の責任を私はお前の手に求める。
しかし、もしあなたが悪人に対して、その道から立ち返るように警告したのに、彼がその道から立ち返らなかったのなら、彼は自分の故に死に、あなたは自分の命を救う。
人の子よ、イスラエルの家に言いなさい。お前たちはこう言っている。『我々の背きと過ちは我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることが出来ようか』と。彼らに言いなさい。私は生きている、と主なる神は言われる。私は悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ悪人がその道から立ち返って生きることを喜ぶ。立ち返れ、立ち返れ、お前たちの悪しき道から。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。
私はインターネットを使いホームページを作り、谷の百合キリスト教会と言う名前をつけて、毎週記事を投稿しています。今までに150ほどの記事を載せましたが、その中で一番閲覧数が多い記事は“欲の種類”と題したものです。以前にこの教会での説教でお話したことがあるものです。
欲という事につい、その意味を確かにするために調べてみました。その内容は、『何らかの行動・手段を取りたいと思わせ、それが満たされたときには快さを感じる感覚のことである。本能的なレベルのものから、社会的・愛他的な高い次元のものまで含まれる。心の働きや行動を決定する際に重要な役割をもつと考えられている』。このように記されていました。確かにその通りです。そして誰一人として欲を持たない人はありません。
聖書は、欲が孕んで罪を産み、罪が熟して死を招くと教えています。ただ私は、全ての欲が悪いものであると言うことは出来ないと考えています。それぞれが持つ欲のあり方によっては、人生に益なるものも少なくはないからです。また間違えば聖書が教えるように破滅に向かいます。人から欲を取り除くことは出来ません。
さて、私達は日々、神の前に正しい生活を送っているでしょうか。神の前にとは言わなくても人として正しいと言える生活を送っているでしょうか。私達は少なくとも善と悪とをわきまえることが出来ます。当然、行なってよい事といけない事の分別はつくはずです。ところがそうは思っていても、人の堕落はほんの些細なことから始まります。ちょっとした出来心からと言う話をよく耳にすることがあります。会社や金融機関などの事件で取り上げられる金銭横領などはその典型的なものだと思います。かつて明るみに出た岐阜県庁の裏金問題もその一例です。誰も最初は良心の呵責に後ろめたさを感じるのですが、一回成功すると、二回、三回と成功するごとに心の痛みを感じなくなるのです。そのことが後になって取り返しのつかないことになるとはゆめゆめ思っても見ないことです。罪深きところ、恵はいやまさらん。これと同じように、豊かに祝福を受けた者への、神の裁きは大きいのです。
イスラエルの民は神を軽んじることに馴れ合いに陥り、預言者の言葉にさえ、耳を傾けることを蔑ろにしました。こうしたイスラエルの民に下ったのが神の裁きであります。しかし、神は語られました。「私は悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち返って生きることを喜ぶ」。
本日はまず、イスラエルの民の歴史を振り返ることから見て行きたいと思います。
モーセに率いられてエジプトから逃れてきたイスラエルの民は、モーセの後継者、ヨシュアに率いられヨルダン川を渡り、40年もの旅の末、神が与えると約束された地であるカナンに入りました。そしてカナンの地を部族ごとに12に分割をしたのです。当初のイスラエルは士師が治めていました。このことは士師記に記されている通りです。
その後、預言者サムエルによってサウルが王として立てられます。サウルは長身の美男子で、ベニヤミン族の出身でした。イスラエル人が王を求めたとき、神はこのサウルを王として与えました。サムエルがサウルに、王として神が選ばれていることを告げたとき、サウルは「私はイスラエルのどの部族より最も小さいベニヤミン人ではありませんか。それに私の家族は、ベニヤミンの部族のどの家族よりも、つまらないものではありませんか。」と謙虚に答えています。このように謙虚であったサウル王でしたが、戦争に勝つことによって人格が変わり、神への絶対の信頼を失い、自分の思いによって政を行なうようになりました。何らかの功績によって人格が変わることは今の時代にもよくあることです。神により頼む生活から、己を頼みとして生きる生活に変わる、いわば人の奢り高ぶりの姿がここに現れています。
そのためサウルは失脚し、代わってダビデが王として立てられます。ダビデは、混乱していたイスラエルを統一しイスラエル王国を建国します。イスラエル王国は、ダビデの子であるソロモン王の時代に至り絶頂期を迎えました。ソロモン王は贅沢な建築資材をふんだんに使い、それまでは移動式の幕屋であったものを廃して、荘厳な神殿を築きます。これがソロモン第一神殿と言われるものです。
栄華を誇ったソロモンと言われ、イスラエル王国が勢いに勢いを増す半面で、国民の間では重税と重労働とに不満が高まってきていました。ソロモンの死後、ソロモンの息子であるレハベアムが王となります。この時エフライム族の一部が反乱を起こし、国家分裂の火種となりました。戦火は王国全土に拡大し内乱へと発展します。これによってイスラエル王国は、サマリアを都としイスラエル部族のうち10部族からなる北イスラエルと、エルサレムを都とする残りの2部族からなる南ユダに分裂します。これを南北朝時代と言い列王記に記されています。
イスラエルの分裂は、政治的な面に留まることなく、宗教的な面に於いても変遷がありました。ダビデの家系を正当と考える南ユダは、変わることなくソロモン神殿で信仰を堅く守っていました。ところが北イスラエルは、黄金の子牛の像を造り偶像礼拝に陥ってしまったのです。ヤロベアムの罪と呼ばれるものです。この偶像礼拝は日ごとに激化し、パレスチナ地方の異教の神々をも礼拝の対象とし、本来のユダヤ教からかけ離れた信仰となってしまったのです。これらの偶像礼拝が北イスラエル10部族の霊的堕落の要因です。
この霊的堕落から回復を図るために神は、エリア、エリシャ、ホセアなどの預言者を送りましたが、これら預言者の声に耳を傾けることもなく、信仰の回復は不可能な状態となっていたのです。このような状態に陥ってしまった北イスラエルは、アッシリアにより滅ぼされ、10部族は全てアッシリアに囚われの身となってしまいました。これがニネベ捕囚と言われるものです。その後の北イスラエル10部族は、歴史の舞台から消えてしまいます。聖書にもその後のことについての記述はありません。失われた10部族と言われる所以です。
では、南ユダはどうであったか。結論から申し上げますと、北イスラエルが滅亡した135年後にバビロンにより滅ぼされます。南ユダの2部族はバビロンに囚われます。これがバビロン捕囚と言われるものです。捕囚されただけではなく、ソロモンが建てた神殿も町も全てが破壊されてしまったのです。
では、南ユダの滅亡の背景にはどのようなことがあったのかを見てみましょう。北イスラエルの滅亡を目の当たりに見て来た南ユダではありましたが、年月の経過と共に自戒の念も薄れ北イスラエルと同じように、罪と堕落への道を辿ってしまったのです。
エレミヤ書17章の言葉をご紹介します。『ユダの罪は心の板に、祭壇の角に、鉄のペンで書き付けられ、ダイヤモンドのたがねで刻み込まれて、子孫に銘記させるものとなる』。
このように記されています。また36章には南ユダの王であったゼデキヤは、預言者の言葉に耳を貸すことなく、イスラエルの神に立ち返らなかった。祭司長たち全ても民と共に諸国民のあらゆる忌むべき行いに倣って罪に罪を重ね、主が聖別されたエルサレムの神殿を汚した。と記されています。神に仕えることで民の手本となるべき祭司長たちの堕落は、民をも堕落の道へと引き込んで行きました。更には、王の一人であったマナセは、父であったヒゼキアが撤去した聖なる高台を再建し、異教の神であるバアルの祭壇を築きアシェラ像を造り、ひれ伏しこれに仕えたと列王記は伝えています。このような霊的堕落がエルサレム陥落、そして南ユダ滅亡の原因となったのです。
北イスラエルの滅亡、南ユダの滅亡は、神がイスラエルを守ることが出来なかった結果ではなく、イスラエルを救うことが出来たにも関わらず神ご自身が、イスラエルの邪悪に対してもたらせられる当然の結果を選ばれたのです。一言にまとめますと因果応報であります。
私はあなたを、甘いブドウを実らせる
確かな種として植えたのに
どうして、私に背いて
悪い野ブドウに変わり果てたのか。
神の嘆きが聞こえます。神はこのように堕落し、神ご自身にさえ背いた民を、このまま放置し、なるがままにされておかれたのでしょうか。見捨てられたのでしょうか。ここで見捨てられたとしたならば、今の私達はありません。
出エジプト記から神の御名を思い返してみましょう。神は、自らの名を「私はあってあるものである」。と語られましたが、私はこの名を存在としての名であると考えます。
次に神が宣言された御名は、主の性質を明らかにされたものでした。
『主、主、憐れみ深く恵みに富む神、忍耐強く、慈しみとまことに満ち、幾千代にも及ぶ慈しみを守り、罪と背きと過ちを赦す。しかし罰すべき者を罰せずにはおかず、祖父の罪を、子、孫に三代、四代にも問う者』。
このように大変長い名前ですが、神の性格を厳格に表しています。イスラエルの民は、神によって選ばれた民です。イスラエルの民が神を選んだのではありません。神自らが選ばれた民を、神が見捨てるはずはありません。罪と背きと過ちを赦す神であるからです。
蛇足ではありますが、日本にも皆さんがご存知の長い名前があります。だれもが知るといって間違いない、寿限無寿限無です。もともとは落語の前座で語られる話であったそうです。
生まれた男の子に、ぜひともめでたい名前を付けて欲しいと、ある男がお寺の坊さんに頼んだのでした。お坊さんがめでたい言葉、縁起のよい言葉を選び記し、この中から選びなさいと男に渡したところ、何かあったときに後悔はしたくないと、その全てを名前にしたものがこの寿限無寿限無です。ところが、その子供が川に落ち、助けの人を集める時に、その長い名前が災いして助けることができなかった。という皮肉を含んだ話です。
寿限無寿限無はこのような名前です。
寿限無、寿限無
五劫の擦り切れ
海砂利水魚の
水行末 雲来末 風来末
食う寝る処に住む処
やぶら小路の藪柑子
パイポパイポ パイポのシューリンガン
シューリンガンのグーリンダイ
グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの
長久命の長助
この一言ずつにそれ相当の意味があります。例えば寿限無は、寿限り無しと書きます。縁起の良い言葉です。また五劫の擦り切れは、天女が三千年に一回、岩を衣で撫でること、これが一劫で五劫はその五倍です。つまり一万五千年と言うことになり、永遠を意味します。言葉遊びの様ですが、話としてのまとまりはきちんとしています。
話を元に戻しまして、ルカによる福音書の放蕩息子の喩の記事を見てみたいと思います。
その記事を端的にまとめてみますと、
ある人に二人の息子がいました。弟の方が親の健在なうちにと、父の財産の分け前を請求したのです。そして、父は下の息子の要求通りに財産を与えました。そして下の息子はその財産を全部金に換えて遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くし財産をすべて失いました。
大飢饉が起きて食べることにさえ事欠き、ある人のところで、ユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をさせてもらい生活を繋ぎました。豚の餌でさえも食べたいと思う程に飢えていたのです。
ふと我に帰った時に、帰るべきところは父のところだと思い立ち、父に赦しを請うべく家路に着きます。きっと足取りは重かったと思います。しかし、父は帰ってきた息子を走りよって抱き寄せ、祝宴を催したのです。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあったのです。
この物語は神の国の喩として、神に背を向けた罪人をも、悔い改めにより迎え入れてくださる神の愛が示されているところです。
エゼキエル書33章10節に記された言葉です。『我々の背きと過ちは、我々の上にあり、我々はやせ衰える。どうして生きることが出来ようか』。イスラエルの民の言葉です。民自らが神の前に、あまりにも重い罪を犯してしまったので、二度と立ち上がることが出来ないと嘆きの言葉と聞き取ることが出来ます。この結果がエルサレム陥落とバビロン捕囚を経験することになるからです。この時になって、預言者の言葉に耳を傾けるべきであったと悟るのです。
この民の言葉に対する神の応えです。『私は悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ悪人がその道からたち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前達の悪しき道から。イスラエルの家よ。どうしてお前達が死んでよいだろうか。』
背きと過ちを重ねたイスラエルの民でありました。しかし、それでも尚、悔い改めて生きる道があると教えるのです。過去の善い行いや義さは、今の罪を贖うことは出来ません。善い行いによってでは罪を贖うことは出来ないのです。しかし、悔い改めて生きる道は常に用意されているのです。
最後にヨハネよる福音書から3章16節の言葉で説教を締めくくりたいと思います。
『神は、その独り子をお与えになったほどに、この世を愛された。独り子を信じるものが独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。』
この恵に感謝しつつ今週も信仰の歩みを続けて参りましょう。
《補足》
さて、滅亡したイスラエルを神はそのままにされては置かれませんでした。イスラエルを回復すると言う神の言葉が預言者エレミヤに臨んだのです。見よ、私の民、イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る、と主は言われる。主は言われる。私は、彼らを先祖に与えた国土に連れ戻し、これを所有させる。(エレミヤ30:2)
バビロニアはその後、ペルシャとの戦いに敗れ、ペルシャの王キュロスが治めていました。神は、エレミヤに臨み語られた回復を成就するために、キュロスの心を動かされたのです。神は信じる者を救うために、異邦人や異教の神々をも用いられることがあります。
預言者の言葉が成就し、バビロン捕囚からの解放が現実のものとなったのです。バビロン捕囚から、解放までの期間は70年に及びました。バビロンから帰還した民は、エルサレム神殿の再建に取り掛かるのでした。この物語はエズラ記に記されています。