日中は暑いくらいの気温、夜になると少し肌寒ささえ感じるこの頃に、僕の周囲には、風邪を引いてしまったと言う人が何人かあります。春先の雨は、一雨ごとに暖かくなってゆく雨です。そしてこれからの雨は一雨ごとに寒さが増してゆく雨になります。早や10月です。一日でも暖かな日が続くと嬉しい気分になります。そう思うと今日は蝉の声を聞かなかった様に思います。先週まで確かに鳴いていた蝉の声でした。
時の移ろいと共に生死も神の御手の内にある自然の営みは、神の霊感に触れるようです。日々、命が繋がる不思議、死ななければならない不思議があります。生も死も神の恩寵の中にあります。生について僕達は極当たり前の様に感じています。そう言うより生について考えたことが無いと言ってもよいのかも知れません。命が与えられ、守られていると言う事実を感謝せずにはいられません。苦しみの時、悲しみに浸る時があっても、主イエスは僕達と共にあり、神は死ぬほどの苦しみを与える方ではないことを知らなければなりません。
死は等しく人に与えられた道です。そして誰にとっても悲しいものです。しかし、人の人生は死で終わることはありません。死は神の国へと入れられるための、人生の通過点なのです。
『私は復活であり命である。私を信じる者は、死んでも生きる。生きていて私を信じる者は誰も死ぬことはない。このことを信じるか。』<ヨハネによる福音書11-28>
僕は、りんけんバンドと言うグループがあることを予てより知っていました。一度だけTVで、りんけんバンドの歌を聴いたのです。その歌が僕の魂を揺すった気がしています。命あることの素晴らしさと感謝をしみじみと知らされた思いでした。沖縄の言葉で歌われているので、標準語ではどんな歌詞になるのかは正確にはわかりませんが、沖縄の言葉で歌われているからこそ良いのだと思います。
世間ではまた柔道連盟の暴力事件、そして僕が愛してやまない第二の故郷とも言える浜松市の日体高校でも教師による生徒への暴力事件がありました。命をもって生きていることに喜びと感謝を覚え、誰もが神の愛の内にあることを深く噛みしめて欲しいと思います。誰が強い者、権力のある者に、弱い立場の者を痛めつける権利を与えたか。神にあらず、人の思い上がりに他なりません。平和の神が臨まれますように。
http://www.youtube.com/watch?v=hMEwXRLyYKc
黄金三星