ヨハネによる福音書には、『私は世の光である。』と記されています。
教会暦は、今週で一年が終わります。来週の日曜日からは教会の新年になります。クリスマスの直前の日曜日から数えた4週間を待降節(降臨節;アドベント)と言い、キリストの降誕を迎える準備をする期間にあたります。
アドベントクランツと言う物を作り、4本の蝋燭を立てて、待降節の1週を迎えるごとに蝋燭に火を灯してゆきます。待降節第一主日には、1本目の蝋燭に。第二主日には、2本の目の蝋燭にと、灯す蝋燭の本数が増えてゆきます。今日は待降節を迎えるためにアドベントクランツを造り、礼拝堂の献花台の上に置きました。しばらく献花台は、アドベンツクランツの置き場になります。
恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。<ルカによる福音書2章10〜11>
教会は聖書を信仰の拠り所としています。しかし、イエス・キリストが12月25日に生まれたと言うことは、聖書のどこにも記されていません。ではどうして、12月25日をクリスマスと定めたのでしょうか。これには諸説あります。そしてこの日にこだわることはないと僕は考えています。教会の伝統として12月25日をクリスマスとし救世主である、イエス・キリストの降誕を祝ってきたと言うことが回答となると思います。
駄目なものは駄目、絶望的な状況は何も変わらないと、全てに心を閉ざし、日々の生活の中の小さな命の営みにすらも心を閉じてしまうのか。あるいは、神が支え導いて下さることを信じ、改めて命の営みに踏み出して生きるのか。イエス・キリストは、僕達に呼びかけられています。僕達に人としてのあるべき姿を、神の子でありながら人として生まれ自らを低くされ、貧しさ、苦悩、嘆き、悲しみを僕達と共にして示して下さるイエス・キリストの降誕を喜びに喜びを重ねて祝いたいと思います。