2014.02.22 Saturday
母の日の由来は諸説あるようですが、アメリカが発祥の地であることが定説となっているようです。
1908年5月10日、この日は、5月の第2日曜日でありました。1905年5月9日に亡くなったミセス・ジャービスを追悼しようと、ウェストバージニア州に住む娘のアンナ・ジャービスが、フィラデルフィアの教会で母の好きだった白いカーネーションを配りました。その後も母に感謝する日を祝日にする普及運動を続けたのです。
1908年には、百貨店王ジョン・ワナメーカーが、店頭で母の日記念会を開催し、注目を集めました。そして1910年には、ウエストバージニア州が「母の日」を祝日として認定したのです。1914年、当時のアメリカ大統領・ウィルソンが、5月の第2日曜日を「母の日」と制定し、国民の祝日としました。こうして、母が健在な者は赤いカーネーション、亡くした者は白いカーネーションを胸に飾るようになり、母の日にカーネーションを贈る習慣へと変化して行きました。
この母の日にあやかるわけではありませんが、僕は母の月命日に墓前に花を手向けることが習慣となりました。死んでも尚、母への感謝の気持ちです。そんな折、僕の家の墓地に続く階段の片隅に、イヌノフグリの花を見つけました。寒風が吹きすさぶ中でも命を絶やすことなく可憐に咲いているイヌノフグリに、生命の力強さを知らされた思いです。
毎日のようにマスコミは、殺人事件を報道しています。ひとりにたった一つの命です。断たれたらもう二度と取り返すことは出来ません。殺伐とした社会の中で、生命の尊厳が軽視されて来ている様に思われます。殺人の原因を見てみれば、多くは短絡的なものです。
この世でただひとり、人にとって最後の敵である死の力を打ち破った人がいます。イエス・キリストです。信仰者である僕達は、このキリストを信じることにより、永遠の命と死からの復活が約束されています。人は本来、神に従順で死ぬことのない存在でした。しかし、アダムとエバが神との約束を破ったために、人に死が定められたのです。罪を犯した代償は死なのです。しかし、死を恐れる事はありません。聖書にはこのように記されています。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて、わたしを信じる者は、誰も決して死ぬことはない。」<ヨハネによる福音書11章25~26>
1908年5月10日、この日は、5月の第2日曜日でありました。1905年5月9日に亡くなったミセス・ジャービスを追悼しようと、ウェストバージニア州に住む娘のアンナ・ジャービスが、フィラデルフィアの教会で母の好きだった白いカーネーションを配りました。その後も母に感謝する日を祝日にする普及運動を続けたのです。
1908年には、百貨店王ジョン・ワナメーカーが、店頭で母の日記念会を開催し、注目を集めました。そして1910年には、ウエストバージニア州が「母の日」を祝日として認定したのです。1914年、当時のアメリカ大統領・ウィルソンが、5月の第2日曜日を「母の日」と制定し、国民の祝日としました。こうして、母が健在な者は赤いカーネーション、亡くした者は白いカーネーションを胸に飾るようになり、母の日にカーネーションを贈る習慣へと変化して行きました。
この母の日にあやかるわけではありませんが、僕は母の月命日に墓前に花を手向けることが習慣となりました。死んでも尚、母への感謝の気持ちです。そんな折、僕の家の墓地に続く階段の片隅に、イヌノフグリの花を見つけました。寒風が吹きすさぶ中でも命を絶やすことなく可憐に咲いているイヌノフグリに、生命の力強さを知らされた思いです。
毎日のようにマスコミは、殺人事件を報道しています。ひとりにたった一つの命です。断たれたらもう二度と取り返すことは出来ません。殺伐とした社会の中で、生命の尊厳が軽視されて来ている様に思われます。殺人の原因を見てみれば、多くは短絡的なものです。
この世でただひとり、人にとって最後の敵である死の力を打ち破った人がいます。イエス・キリストです。信仰者である僕達は、このキリストを信じることにより、永遠の命と死からの復活が約束されています。人は本来、神に従順で死ぬことのない存在でした。しかし、アダムとエバが神との約束を破ったために、人に死が定められたのです。罪を犯した代償は死なのです。しかし、死を恐れる事はありません。聖書にはこのように記されています。
「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていて、わたしを信じる者は、誰も決して死ぬことはない。」<ヨハネによる福音書11章25~26>