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現代社会の責任
  冬至に至るまでの間、秋の夕暮れは早いものです。これも神が定めた天の法則であり、悪いことばかりではありません。菊などの短日植物と言われる花々は、日長が短くならないと花をつけないのです。この性質を取って返したものが電照菊で、年末に花が咲くように、照明によって日長を制御します。人は様々な知恵を得てきました。そのことが僕達の役に立つこともあれば、逆に為にならないものも数多くあるように思います。
 
  福島の原発事故からおおよそ3年半の時を経ました。原子力発電はとても効率がよく、大気を汚染することもありません。ところが震災によってこの安全神話が覆されたのです。
今後40余年をかけて原子炉を廃炉にすることが決まり、その工程が進められています。
  天災とは言え、一つの間違いから大きな被害を産んでしまいました。故郷を捨てなければならない方々の思いを察するに余りあり、胸が痛みます。


 
 何かを作るとき、その最後はどうなるのかをよくよく検証しなければならないと思います。核燃料の最後はどうなるのでしょうか。人類の幸福のためにと考案したものが、人類に刃を向けるということは、今後も起こることだと思います。僕達は便利になったと喜んでばかりはいられないのではないのでしょうか。それは次の世代にこの世を引き継いでもらうためにです。それ故、僕達の責任は重いのです。
 
 現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。<ローマの信徒への手紙818〜19
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神の独り子
  秋の花が深まり行く季節に彩をそえてくれています。そして収穫の秋となりました。春から丹精込めて育てた作物を収穫する喜びには、大きなものがあります。“地よりパンを出だしたる神の御名はほむべきかな。”僕達は神を父とし、父なる神から様々な物を頂いています。僕達の命の営みは、神による他ありません。
 
 ハイデルベルグ信仰問答の問1には、このような質問があります。
 問1 生きている時も、死ぬ時も、あなたの唯一つの慰めは何ですか。
 答え 私が身も魂も、生きている時も死ぬ時も、私のものではなく、
       私の真実なる救い主イエス・キリストのものである言うことで
       あります。<後略>


 
 
  キリストは、僕達の罪のために血潮を流され十字架の上で死んでくださいました。このことによって僕達の罪は全て赦されたのです。私は罪など犯してはいないという人があれば自らの心に真正面から問いただしてみてください。罪とは犯罪だけのことではありません。神に背を向けることが罪となるのです。神が、僕達の罪を帳消しにしてくださるには

キリストの十字架上での死でしかありませんでした。そして永遠の命をも約束されました。神はキリストと言う神の独り子を十字架にかけてまで、僕達を愛して下さっているのです。
 
 神は人の心を深く探り知られる方であります。神の前には全てが暴露されているのです。
聖書には、義人はいない。ただの一人もいないと記されています。僕達は神の前には罪びとであっても、人の世においては、善良な者でありたいと思うのです。
 
<神は、実に、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。>
  この、ヨハネによる福音書3章16節の御言葉は、聖書66巻の中でも最も有名な、そして大事な御言葉であると言えるかもしれません。福音の真理のすばらしい要約です。僕達の信仰の本質は、この一節の御言葉の中に、完全に示されています。

 
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太陽の下に生きる

 朝晩の冷え込みに、秋も深まってきたと感じます。寒暖の差に体調を崩さないようにと気をつける日々です。年度も半年が終わり下半期が始まりました。これからは寒くなる一方。僕は寒い時期が苦手なので、NHKの連続テレビ小説“まっさん”が終わる頃には春になるのだと自らを励ましています。

 

 先ほどテレビを見ていたら、「鏡は嘘をつかない。」と言う言葉が耳に入ってきました。確かにそうかもしれません。人は嘘をつくのに、人が作った鏡は嘘をつかないのです。何と矛盾した話でしょうか。しかし、自らが嘘つきなどと思っている人はおそらく誰一人としていないことでしょう。ただ、良心の呵責に苛まれ悪いことをしてしまったと後悔する人は多いと思います。嘘は自己弁護であり、自らの立場を悪くしないために得た人の知恵です。世の中には必要な嘘もあります。しかし、人を陥れるような嘘は赦されるものではありません。嘘の達人などと言う言葉はないのでしょうが、あたかも事実であるかのようなことを言い周囲の者を翻弄させる人がありました。僕が信用していた人の一人であります。このことで僕は訴訟を起しましたが、判決は僕には納得のゆかないものでした。
 

 

 

 誰もに等しく光を注ぐ太陽の下で、真面目にこつこつと生きること。人の生き方の原点に心を傾けてゆくことが人生の原点ではないでしょうか。それでも悪はこの世からなくなりません。欲望をすてて、神に立ち返る人生を全うしたいものです。鏡に映された自らの姿に恥じないように。

 

 私はあなたを、甘いブドウを実らせる確かな種として植えたのに、どうして私に背いて悪い野のブドウに変わり果てたのか。<エレミヤ書221

 

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自然との共生
 6月のことです。僕が通った高校の総会があり、クラス委員に選任されていたので出席しました。その席で高校で絶滅植物を培養し、自然に帰した課程の研究発表が在校生により行なわれました。かつてはどこにでもあった植物ですが、年々数を減らし絶滅の危機にさらされていることに着目したそうです。残念ながらその植物の名前を忘れてしまいました。そして僕はその植物を未だ見た事がありません。
 話は変わりますが、最近になって僕の家の周囲のハザードマップが配布されてきました。近隣の家6軒のうち安全とされたのは2軒だけでした。僕の家は危険地域内に入っています。
 
 この二つの事例に共通するのは、自然が崩壊していると言うことです。絶滅危惧種を培養し、自然に帰すことは素晴らしいことです。しかし、その裏側には絶滅していった課程があるのです。自然に帰して今のこの環境に適応できるかどうかと言う事も疑問です。
 またハザードマップを作り、いざと言うときのために避難する場所を確保することは命の危険から逃れる唯一の道です。ここにも問題があるのです。どうして僕の家の周囲が危険地域になったかと言うことです。避難して命をつなぐ事は誰もがしなければなりません。 しかし、危険地域の危険度合いを軽減すると言うことをも考えなければならないのです。危険なところを危険のままにして良いはずがありません。自らの足元を見てみましょう。
 
 今を生きる僕達は、神が創造された森羅万象のうちに命をつないでいるのです。神が創られた命あるものは、その中で生かされているのです。生きているのではありません。あくまでも生かされているのです。このことを忘れ去った結果が自然の崩壊です。それには様々な危険が潜んでいます。今からでも決して遅くはないと思います。神はそれをご覧になってはなはだ良かったと聖書は教えています。ひとりでも神に立ちかえる人があることを願ってやみません。
 



 神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。天地万物は完成された。第七の日に、神はご自分の仕事を完成された。第七の日に、神はご自分の仕事を離れ、安息なさった。この日に神は全ての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福して聖別された。これが天地創造の由来である。<創世記1章31〜2章4>  
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