今年も数えることが出来るだけになりました。今年一年を振り返えり、さまざまな思いに暮れています。様々な思いの中で暮してきましたが、喜びのときも、憂いの時にもやはりキリストが共に歩んでくださったと言うことを確信するのです。その確信の心の中に思い浮かぶのは、フットプリンティングと言う詩です。以前にもブログに記したことがありますが、僕にとっては慰めの詩であります。
喜びのときにも、キリストを忘れては喜ぶことは出来ません。憂いの時にも、キリストを頼みとする僕の心の内です。『私はあなたを、忘れたことはない。』と言う声なき声が心の内に響きます。
それでは来年に何を期待するかと問われたとしたら、やはり、キリストが共に歩んでくださり、谷の百合キリスト教会を神が祝福のうちに覚えて下さることです。未だ会員がない教会ではありますが、地道に福音を述べ伝えて行きたいと思っています。キリストが共に歩んでくださる人生は、喜びや楽しいことばかりではありません。しかし、いつの日か未来への約束が実現する時が来るのです。僕はその日を待ち望んでいます。
ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。
これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。
このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
わたしと語り合ってくださると約束されました。
それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
ひとりのあしあとしかなかったのです。
いちばんあなたを必要としたときに、
あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
わたしにはわかりません。」
主は、ささやかれた。
「わたしの大切な子よ。
わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
ましてや、苦しみや試みの時に。
あしあとがひとつだったとき、
わたしはあなたを背負って歩いていた。」
<フットプリンティング>