庭先に出てふと足元に目を向けてみると、この寒さの中にあってもイヌノフグリが花を咲かせていました。今年いちばん最初に見つけた春の兆しです。「冬来たりなば、春遠からじ」と言いますが、春の歩みは寒さの中でもその背面で確実に一歩、また一歩と進んでいることを実感しました。心弾む気分です。早春賦の詩が脳裏を過ぎります。
僕にとって心からの嬉しい知らせがありました。僕の友人の子供が結婚をすると言うのです。僕の友人とは、僕が浜松市に住んでいた時に同じ会社で働いていた人で、共に社宅を借りていましたので、お隣さんでもありました。ですからその子供が生れた日から、会社が閉鎖になるまでの間は毎日のように遊びに行き、その子供の成長を見てきました。オムツを替えてやったり、親の代わりに保育園に迎えに言ったりと幼い頃の思い出は尽きません。いまや立派に生長して福祉の仕事をしています。あたかも、自分の娘を嫁がせるような気分です。
僕達の天の父も僕達の成長を黙して見ておられます。体の成長は勿論のこと、霊的成長を天の父は重んじられます。天の父には、僕達の姿がどのように映って見えることでしょうか。天の父は、昼は物言わず、夜は語ることもなさいません。しかし、父の御心は僕達の心に顕にされるのです。
御心にかなった生活をしたいと願い務めても、罪人である僕達には到底御心に叶うことは出来ません。しかし父は、忍耐をもって僕達のあるがままの姿をご覧になり、キリストを信じる心の故に赦しを与えて下さるのです。キリストは、「来る者を拒みはしない。」と僕達を招き、いつも共に歩んでくださいます。僕はこのことを、真心から信じ生きているのです。
天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。
昼は昼に語り伝え、夜は夜に知識を送る。
話すことも、語ることもなく
声は聞こえなくても その響きは全地に
その言葉は世界の果てに向かう。<旧約聖書;詩篇19:2〜5>