2015.02.28 Saturday
先週は風邪を引いてしまったのでしたが、その風邪も完治しないうちに、今週は僕の不注意から、脚立から墜落し足首を捻挫してしまいました。幸いにも骨折はしていなかったので良かったのですが、悪いことは続くものなのだと少しばかり落ち込んでいます。
痛みや熱があることも苦痛ですが、人とって一番の苦痛はかゆみだそうです。確かにそうかもしれません。夏にたった1匹の蚊に刺されただけで、あのかゆみがいつまでも続くのですからたまったものではありません。何はなくとも健康が一番であるとつくづく思い知らされる昨今です。これは僕に与えられたトゲであるかもしれません。
キリストの使途、パウロは、自らにトゲが与えられたと言っています。それは、自らが思い上がらないようにとサタンから送られたものであり、パウロ自身を痛めつける為のものであったと聖書は記しています。人は追い風に乗り順風万帆の人生を送っていると、あたかも自分が偉い者のように思えてくるものです。そして他の人を見下します。敢て言うならば、人は何かしらの負い目を持った方が、謙虚に生きることが出来ます。しかし、謙虚な生き方を好むものは少ないのです。神の恵みのうちを歩みたいと願うならば、謙虚であるべきです。なぜならば、神は高ぶる者を退け、謙る者に恵みを給う方であるからです。
わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。このような人のことをわたしは誇りましょう。
しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。
それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。<コリントの信徒への手紙第二 12章1〜10>
痛みや熱があることも苦痛ですが、人とって一番の苦痛はかゆみだそうです。確かにそうかもしれません。夏にたった1匹の蚊に刺されただけで、あのかゆみがいつまでも続くのですからたまったものではありません。何はなくとも健康が一番であるとつくづく思い知らされる昨今です。これは僕に与えられたトゲであるかもしれません。
キリストの使途、パウロは、自らにトゲが与えられたと言っています。それは、自らが思い上がらないようにとサタンから送られたものであり、パウロ自身を痛めつける為のものであったと聖書は記しています。人は追い風に乗り順風万帆の人生を送っていると、あたかも自分が偉い者のように思えてくるものです。そして他の人を見下します。敢て言うならば、人は何かしらの負い目を持った方が、謙虚に生きることが出来ます。しかし、謙虚な生き方を好むものは少ないのです。神の恵みのうちを歩みたいと願うならば、謙虚であるべきです。なぜならば、神は高ぶる者を退け、謙る者に恵みを給う方であるからです。
わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。このような人のことをわたしは誇りましょう。
しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。
それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。<コリントの信徒への手紙第二 12章1〜10>