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トゲを持って生きる
 先週は風邪を引いてしまったのでしたが、その風邪も完治しないうちに、今週は僕の不注意から、脚立から墜落し足首を捻挫してしまいました。幸いにも骨折はしていなかったので良かったのですが、悪いことは続くものなのだと少しばかり落ち込んでいます。
 痛みや熱があることも苦痛ですが、人とって一番の苦痛はかゆみだそうです。確かにそうかもしれません。夏にたった1匹の蚊に刺されただけで、あのかゆみがいつまでも続くのですからたまったものではありません。何はなくとも健康が一番であるとつくづく思い知らされる昨今です。これは僕に与えられたトゲであるかもしれません。
 
 キリストの使途、パウロは、自らにトゲが与えられたと言っています。それは、自らが思い上がらないようにとサタンから送られたものであり、パウロ自身を痛めつける為のものであったと聖書は記しています。人は追い風に乗り順風万帆の人生を送っていると、あたかも自分が偉い者のように思えてくるものです。そして他の人を見下します。敢て言うならば、人は何かしらの負い目を持った方が、謙虚に生きることが出来ます。しかし、謙虚な生き方を好むものは少ないのです。神の恵みのうちを歩みたいと願うならば、謙虚であるべきです。なぜならば、神は高ぶる者を退け、謙る者に恵みを給う方であるからです。
 



 わたしは誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主が見せてくださった事と啓示してくださった事について語りましょう。わたしは、キリストに結ばれていた一人の人を知っていますが、その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。わたしはそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。彼は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を耳にしたのです。このような人のことをわたしは誇りましょう。
しかし、自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはありません。仮にわたしが誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。だが、誇るまい。わたしのことを見たり、わたしから話を聞いたりする以上に、わたしを過大評価する人がいるかもしれないし、また、あの啓示された事があまりにもすばらしいからです。 
 
 それで、そのために思い上がることのないようにと、わたしの身に一つのとげが与えられました。それは、思い上がらないように、わたしを痛めつけるために、サタンから送られた使いです。この使いについて、離れ去らせてくださるように、わたしは三度主に願いました。すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱いときにこそ強いからです。<コリントの信徒への手紙第二 12110
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道の種
  先週に罹った風邪は、なかなかしぶといもので、ようよう今日になって熱が下がりました。インフルエンザではありませんでしたが、今年の秋には、インフルエンザの予防接種を受けようと思います。つくづく健康であることの有り難さを身をもって知らされました。
  健康であることが当然のように考えていてはいけないのです。健康を阻害するものが身の回りには数多くあります。また自らの生活習慣も考えなければなりません。僕達は日々の健康をも神から頂いているのです。自らの体を労わることも考えましょう。
 
 今日は、30年来の友人の家を訪ねる予定が入っていました。ですから、何が何でも今日までに風邪を治さなければならない理由があったのです。友人宅を訪ね、その娘さんと共に、イチゴ狩りを堪能してきました。果物(イチゴは野菜ですが。)好きの僕にとって、イチゴ狩りはたまらないものです。入園料は1500円でした。とても1500円分のイチゴを食べたとはいえませんが、僕にとって損得勘定はありません。イチゴを食べてその雰囲気を楽しめたことが一番嬉しいことなのです。
 
 行き先は浜松市です。僕が若き日々を過ごした土地です。浜松市内では、既に梅の花が咲いていました。浜松に限らず、当地でもロウバイが咲いたり、オオイヌノフグリが咲いたりと春の足音が確かなものとなって身近に迫ってきています。冬来たりなば、春と遠からじ。まさにその通りです。今年もまた畑を耕す時期が近づいてきました。より豊かな収穫を願いつつ、種を一粒、一粒と地に蒔いてゆきます。作物の種を舞うことはもちろんですが、もう一つ蒔かなければならない種があります。それは、道の種です。道とは即ち、キリストを指します。僕達キリスト者は、キリストの種をも世の中に蒔いて、その生長を守らなければならないのです。

 


<讃美歌503> https://www.youtube.com/watch?v=fkVAZ1g33RI
春の朝、夏の真昼、  秋の夕べ 冬の夜も
勤しみ蒔く 道の種の  垂穂となる 時来たらん
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂
 
御空霞む のどけき日も  木枯らし吹く 寒き夜も
勤しみ蒔く 道の種の  垂穂となる 時来たらん
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂
 
憂さ辛さも 身に厭わで  道のために 種を蒔け
ついに実る その垂穂を  神は愛でて 見そなわさん
  刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂
 刈り入るる 日は近し  喜び待て その垂穂
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癒しへの感謝
 今週は週半ばから不覚にも風邪を引いてしまいました。滅多に風邪など引くことが無いので、たかが風邪と言っても僕には重病です。熱は37.5℃でした。普段、平熱が低いので、ふらふらする感じでした。急いで病院へ行き診察をしてもらい薬を貰ってかえってきたのですが、夕方には随分楽になりました。病院とは何とも有り難い所でしょうか。しかし、健康でいることが優先です。一週間後には旧友を訪ねて出かける予定があります。それまでには完治するでしょう。
 
 イエス・キリストは、医者ではありません。しかしながら、足の不自由な人を立ち上がらせ、重い皮膚病の人を癒し、目の見えなし人の目を開きました。罪を赦す権能を神から与えられていたのです。このような人々が皆、罪人であったと言う考え方は、僕は消極的であると思います。誰もが五体満足を願うことは今も昔も変わりありません。
 イエスによって癒された人の気持ちを察することが出来ます。このような人々は、世間から敬遠され、ましてやお金など持っているはずがありません。医者がいたにしても、診てもらうようなことは出来ません。しかしイエスに、ただ、「主よ、御心ならば」と告白することで癒されたのです。ある者は飛び跳ねて帰って言ったと聖書は記しています。
 
 神は人類の幸福の為に、人に様々な知恵をお授けになられました。病院へ行き風邪が快方に向かっている今、神への感謝を捧げます。
 


 
 さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである<ヨハネによる福音書9章1〜3>

 
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祈りあり

 一昨日は立春。ロウバイの花が芳しい香りを放っています。この寒さの中にあっても、寒さの裏側では、確実に春の足音が聞こえてくるようで、生命の躍動を感じます。暑さ寒さも彼岸までと言う諺がありますが、その時期もそう遠くはありません。命あるものが眠りから覚めるのです。僕達が春を待つよりもはるかに春の訪れを待ち望んだのは、先人の人々だろうと思うのです。今よりもはるかに雪の量は多く、気温は低く、冬の間の仕事も出来ない時代に生きた人々です。おそらく今の時代より、人と人との交わりが厚く、互いに助け合って生き抜いたことであろうと思います。

 

 生活が豊かになり、物資にも事欠かなくなると相互扶助のこころは薄らいで行きます。

何も人に頼らなくても生きてゆけるのですから。これに相まって神への信頼も薄らいでゆくことがあり得るのです。僕達は神によって生かされていることを忘れてはなりません。与えられるものは全て自助努力によるものではなく、神から与えられるのです。神への信頼が厚くなれば、自ずと相互扶助の精神も培われるのです。日々、神への感謝と罪の赦し、そして祈りを重ねてゆく人生を全うしたいと思います。

 

 


主の祈り

 

天にまします我らの父よ。
ねがわくは御名をあがめさせたまえ。
御国を来たらせたまえ。
御心の天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を、今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を、我らがゆるすごとく、
我らの罪をもゆるしたまえ。
我らを試みにあわせず、
悪より救いだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝のものなればなり。
アーメン。

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