先の台風も当地には何の被害をもたらさずに過ぎ去りました。しかし、被災された方々にはお見舞いを申し上げます。悪天続きのこの頃、早く日の光を浴びたい思いです。
稲刈りがあちらこちらで見られるようになり、本格的な秋の訪れを感じています。僕の畑では、冬野菜の準備が整い、先日は雨間を見て聖護院大根の種を蒔きました。収穫まで2カ月ほどかかると思います。決して農業と言えるほどの畑ではありませんが、農の業には楽しみがあります。しかし、自然を相手の仕事ですから、良い収穫を迎えられる時ばかりではありません。その時は仕方がないなと諦めるほかありません。農業を職業としておられる方々は、そうは簡単に諦めることは出来ません。一粒の種から得られる収入が、家計を支える元となるからです。
僕は時々思う事があります。よくも日本国民1億人の食を支える食料があるものだと。
それも飽食の時代と言われる現代です。世界を見れば飢餓に苦しむ人々の数も底知れません。食育と言う言葉があり、食育がなされているのですが、食育の実態を僕は知りません。
食べ物を粗末にしてはいけないことを教えているのでしょうか。畑を耕す人のことを教えているのでしょうか。
神はイスラエルの民を奴隷の国エジプトから解放し、イスラエルの民に与えると約束された地へと荒野の旅を導きます。その年月は40年にも及びました。荒野で、そのイスラエルの民に与えられた食料がマナでした。肉が食べたいと言えば、ウズラを与えました。命を支えるものはすべて神から与えられるのです。
「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。」<ヨハネによる福音書12章24〜25節>