振り返ってみると今年は雨が多かったように思います。昨日も雨。かつて氷雨と言う演歌がありました。当時は新語としてもてはやされましたが、今では死語となってしまったのでしょうか。まさに昨日の雨は冷たい氷雨でありました。今年も残すところ2カ月余り。日々の何の変哲もない暮らしの中で、あっという間に過ぎてしまいそうです。
時はハロウィンとなりました。日本に定着したとは思うことは出来ませんが、日本人はなんでも受け入れる志向にあるようです。ただ楽しければいいのかもしれません。隣の芝生が青く見える的志向だと僕は見ています。海外のハロウィンの楽し気な雰囲気に流されてしまったのでしょう。ハロウィンを楽しむ人々もその根源を知る人は少ないと思います。クリスマスケーキにしても然り、要は商業ベースに乗ってしまったのです。だた僕はこれらのことを否定する気は全くありません。
かつて僕が働いていた会社でアルバイトをしていた青年は、「人生は楽しければいいんだ」。と言っていました。現代社会を象徴するような言葉に受け取れました。しかし、楽しい人生とはどんな人生なのでしょうか。何をもって楽しい人生と言うのでしょうか。この点が問題であると思います。遊びや娯楽に興じること、これも楽しい人生のあり方でしょう。しかしこのような人生には、落とし穴があることを覚悟しなければなりません。
肝心なことは、人生は楽しければいい。これでもいいのです。しかしその根底に確たるものがなければ楽しい人生ではなく、空しい人生になると言う事です。
聖書は、人生は苦であると教えています。他の宗教にも似たような考え方があります。楽しい人生を築く上には、苦と言う土台があって然るべきであると僕は思うのです。さあ、この月末をハロウィンで楽しんでください。
ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。 伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。 日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。世は去り、世はきたる。しかし地は永遠に変らない。
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。
すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。<旧約聖書:コヘレトの言葉1章1〜10>