明日の日曜日から教会歴は降臨節に入ります。僕の教会の礼拝堂も、アドベントクランツを用意してクリスマスを迎える準備が整いました。降臨節は教会の新年の始まりでもあります。欧米ではシュトーレンと言う菓子を作りクリスマスまでの間、少しづつ食べてクリスマスを迎えます。クリスマスは、イエスと言う救い主がこの世に誕生されたことを喜びを以って迎える日であり、また今は天にいますイエス・キリストの再臨を待ち望む日でもあります。
喜びの日を迎えることは、その日に至るまでとても長く思えます。そして喜びの日を祝い、その歓喜を携えて生きるのです。しかし喜びは時の経過とともに薄れてゆくのが人の心の弱さです。喜びが待ち遠しいのに対して、悲しみ、憂いは人の心に突然に訪れます。そして喜びとは裏腹に、人の心に深く刻まれます。このことによって、その後の人生に影響をもたらすことが多分にあり得るのです。これを健全な心と言う事は出来ません。聖書は、『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい』と教えています。このことを克服させてくれるのが神から賜る愛です。『神は、その独り子を世に遣わすほどに世を愛された。それは、御子を信じる者が一人として滅びることなく、永遠の命を得るためである』。このように聖書は教えます。
クリスマスは、クリスマスケーキを食べる日ではありません。神の愛が現実のものとなって、この世に実現された日です。この喜びを忘れてはなりません。これはクリスマスの日だけの喜びではないのです。毎日が喜びでなくてはなりません。悲しみ、憂いに勝るこの喜びを携えて信仰の生涯を送りたいと思います。
起きよ、夜は明けぬ、夜警らは叫べり、
起きよ、エルサレム。
乙女ら、目覚めよ、新郎はきませり、
目覚めて迎えよ。
栄の主は 降りましぬ、ハレルヤ。
灯かかげて いざ迎えまつれ。
喜びあふるる 夜警らの叫びに、
乙女らは覚めよ。
栄に輝く 主の降りたまえば、
光はさしでぬ。
主よ、よくこそ ましましけれ、ハレルヤ。
祝いのむしろに いざ着かせたまえ。
天地こぞりて 稜威たぐいもなき
主をたたえまつれ、
みくらをめぐりて かち歌をうたえる
御使いと共に。
待ちにまちし 主は来ませリ、ハレルヤ、
栄ある勝歌 いざ共に歌わん。
<讃美歌174番>