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誓約

 寒の内の中にあっても、今日は暖かく穏やかな日和に気分を良くした僕です。立春も間近になりました。早春賦の歌が似合う季節です。本格的に春を感じるのは、東大寺のお水取りの行事が終わった時分からでしょうか。しかしながら僕の花壇では、チューリップが芽を出しています。この寒さの中、生命力の強さに驚くばかりです。

 

 明日は岐阜県知事選挙の投票日です。僕は今日、期日前投票に行ってきました。おそらく現職の知事が第三期目を務めることとなると思います。選挙には様々なものがありますが、先般のアメリカ合衆国の大統領選挙は、結果によっては世界を動かす力を持つものです。マスコミなどでご存知の通り、トランプ氏が大統領となりました。就任直後から様々な問題を世界に向けて投げかけています。

 

今夜は、安倍総理大臣と電話会談が行われるとか。わが国とアメリカ合衆国との間には、切っても切れない関係、或いは問題があります。

わが国は独立した国家であり、アメリカ合衆国の属国ではありません。安倍総理大臣は、電話会談に積極的な姿勢を見せていますが、答えは然り,否かのどちらかであります。外国では、曖昧な答え“どちらかと言えば”と言う事は通用しません。今や日の出の勢いのトランプ大統領に安倍総理はどのような話をし、どのような返事をするかが国民の注目の的だと思います。

 

 

 アメリカ合衆国の大統領就任式で大統領は、聖書の上に手を置き誓約をします。この度のトランプ大統領は、二冊の聖書の上に手を置いていました。そのうちの一冊は、母親から貰った聖書だそうです。聖書の上に手を置き誓約することは、神の御旨に従うと言う事だと僕は理解しています。因みにキリスト教の結婚式でも、新郎新婦は聖書の上に手を置き、神の教えに従う誓約をします。

 果たして、トランプ大統領の政治に関する思惑が、神の御旨にかなうかどうか、今後の世界を動かす国の大統領としての力量があるかどうか僕は心配する気持ちの方が強いのです。聖書の上に手を置いて誓約したトランプ大統領に、神の導きがありますように祈ります。 

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神との和解

 昨日は大寒でした。一年の内でいちばん寒い時期と言われるこの時期、この言葉を聞くだけで寒さが身に染みるように感じます。この寒さの中にあっても、息づくものが多くあります。サザンカ、ロウバイ、ビワの花が咲き誇り、この寒さを和らげてくれるようです。また、花屋の前を通ると春の花が盛りだくさん陳列されています。僕の部屋には、夏の花であるフシグロセンノウが一輪の花を咲かせています。寒さの中で心までが委縮してしまいそうなこの時期に、花があるとは嬉しいことです。しかし、時は巡りやがて春が訪れることは間違いのないことです。今は心静かに春の訪れを待ち望みたいと思います。

 

 季節の移ろいは、神が定められた天の法則、地の法則に従って巡り巡ります。これは天地創造の時から変わることのないものです。ですからどのような時をも感謝の念を以って生きてゆかなければなりません。太陽は生き物を育み、雨は田畑を潤します。雪はやがて水となり、神が造られた全てのものに命を与えます。神の創造の知恵は、僕たち人間にははかり知ることは出来ません。神は天地創造を終えられたとき、造られたものすべてを見てそれを善しとされました。造られた全てのものが神の御心にかない、完全であったのです。

 

 

 神が造られたもの全てが神の栄光を現しています。しかし、人だけが罪に染まりました。

人の心は神を離れ、独り歩きを始めたのです。その結果が、現在に至る異常気象であると僕は考えています。人は、より良きものを考案し作り出します。その心は留まるところを知りません。そう知った先人の恩恵によって、僕たちは不自由のない生活を営んでいるわけです。従って僕は、そういった科学の進歩や便利な物を否定はしません。僕自身もその恩けに与かっているからです。

 しかし、留まることを知らない人の知恵の欲望は、やがては人にとって害となり得ることあることを忘れてはならないと思います。福島の原子力発電所の事故は、その意味で僕たちに警鐘を鳴らしているのかもしれません。人が作ったものを、人が抑制できないのです。この事故によってどれだけの人が、被害を被ったことでしょうか。神との和解、神を畏れる心を回復する時期ではないのかと思うのです。

 

 更に神は言われた、「これは私と、あなたがた及びあなたがたと共にいる全ての生き物との間に代々限りなく、私が立てる契約の徴である。 すなわち、私は雲の中に、虹を置く。これが私と地との間の契約の徴となる。 私が雲を地の上に起すとき、虹は雲の中に現れる。
  こうして、私は、私とあなたがた、及びすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた契約を思いおこすゆえ、水は再び、全て肉なる者を滅ぼす洪水とはならない。
 虹が雲の中に現れるとき、私はこれを見て、神が地上にあるすべて肉なるあらゆる生き物との間に立てた永遠の契約を思いおこすであろう」。<創世記9章12〜16>

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内なる敵

 当地ではこの冬初めての積雪となりました。今まで比較的暖かっただけに、寒さが身に沁みます。1月も半ばとなり、この寒さもあと2カ月の辛抱かと思っています。時の流れは意外に早いものです。この寒さの中にあっても庭先のロウバイやサザンカが満開となり、心を和ませてくれています。

 

 寒い時期は、どちらかと言えば家の中に閉じこもりがちになり、しなければならないこともあと送りになってしまいます。暖かいと言う事は、有り難いことだと思います。それは心の温かさについても言えることです。イエスは「自分を愛するように、あなたの隣人をも愛しなさい。」と教えられました。しかし、この言葉に従えないのが人の性分だと思います。人のことよりも自分のことを優先させるのです。正直なところ、僕もその一人に数えられます。キリストを信仰する者が、キリストの教えに従えないとは惨めなことです。

 これは人が持っている自己中心の志向と言わざるを得ません。人のことよりも、先ず自分のことを。一般的に当然と言えばそれまでの話です。一つ間違えば、偽善者とも言われかねません。イエスの教えに従うには、どうしたらよいのでしょうか。僕は思うのです。人の心の中には、人を思う温かさがあることは間違いありません。しかし、その温かさに敵対する内なる敵があるのです。この敵はとても手強いものです。イエスの教えに従おうとする心を封じ込めてしますからです。

 

 

 イエスは、僕たち罪人のために十字架にかかり、死を以って僕たちの罪の代償となってくださいました。そのことを思うとき、僕たちの心に居座る内なる敵に立ち向かう勇気が与えられるように思います。内なる敵との戦いは、困難極まりないものです。その敵に立ち向かう勇気が与えられますように祈りたいと思います。

 明日から始まるあたらしい週が、祝福の内にありますように。

 

 自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい。<マタイによる福音書2239

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光と共に

 昨日の公現日を以ってクリスマスの期間は終わりました。主の2017年を、クリスマスの光の内に穏やかに迎えることが出来たことは、僕にとって喜びであります。しかし、糸魚川市の火災や東日本大震災などの災害により、目出度いはずの新年を喜んで迎ええることが出来なかった方々には、心から気の毒なことだと思います。一刻も早い復旧を祈ります。

今年がどんな年になるのか、どんな年にしたいのかは分かりません。ただ、アメリカの新大統領が、どのような政策を打ち出すかによって世界は大きく変わると思います。就任全から極端な発言が立て続けですから、不安要素を払拭できません。ただ願うのは、安心して平安に暮らしたいと言う事だけです。

 

 

 

 世の中を見れば、事件のない日がないと言っても間違いではありません。どうして人はそんなに堕落してしまったのでしょうか。最終的に行き着く答えは、自己中心であると言う事だと思います。もちろん、僕の心の中にも自己中心的な思考がうごめいています。それを抑えることが出来るかどうかが、人生を左右する根源です。しかし、人の言う事ばかり聞いてはいられません。時には自己主張も必要です。ところが、和を以て貴しとなすと言う文化の中で育った日本人は、自己主張が苦手かもしれません。

 

 神は天地創造の最初に光を造られました。この世のものにとって欠くことのできない一番大切なものです。闇の中にさえも星を散りばめ、光とされたのです。この主の2017年の歩みが光と共にありますように祈ります。

 

 神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。<創世記13  

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