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人歩き

 僕が今、気がかりなのは、畑の作物の生育がいつになく悪いことです。元気がいいのは、ジャガイモとトウモロコシだけです。気象がいつもと違うせいだと思っています。仕事から帰ると先ずすることは、畑に水を撒くことです。梅雨に入ったとはいえ、今のところ空梅雨状況、また5月の降水量も例年の半分以下と言われています。来週からは梅雨らしい日が続くようになるとの天気予報でした。雨が待ち遠しい気分です。

 そんな中で、今年2回目のトウモロコシの種を蒔きました。驚くことに種を蒔いてから、1週間もたたないうちに発芽しました。植物の発芽に必要な物は、温度と水分であると思います。今、2センチほどに育ったトウモロコシを見ながら、生命の不思議さを感じています。1センチにも満たない種から芽が出て、やがては1メートルほどに育ち多くの実をつけるのです。神が定められた自然の摂理です。

 

 

 僕たちは、神を忘れ疎かにし、独り歩きを始めた時から神の定められた摂理に反した生き方をしています。それがもたらしたものは、環境破壊と異常気象であると僕は考えています。生きて行く上での便利さ、快適さを否定するつもりはありません。事実僕もその恩恵に与っているからです。人の欲は留まるところを知りません。今から後の世は、もっと変わってゆくと思います。その中で神に帰れと言う人々が立ち上がるでしょうか。過去も未来も台頭するのは、自己中心で力を持った者、僕のような弱い者は、それに対して否とは言えないのです。

 たった一粒のトウモロコシの種が多くの実を結ぶように、たった一人の人によってこの世が救われました。イエス・キリストです。イエス・キリストは再びこの世に来ると宣言されました。僕はその日を待ちに待っています。

 

聖書の言葉

 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。<ヨハネによる福音書1224

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敵を愛する。

 梅雨に入ったと言うのに毎日快晴の日々です。来週から半ばから梅雨らしい天候になると言う予報でした。僕の畑は乾ききり、毎日野菜に水を与えなければならない状況です。野菜の育ち具合を見ていると、今年はいつもの年と違います。この夏は猛暑になるとも言われている昨今、やはり異常気象なのかなと思う次第です。

 

 今週は週明けから気分のすぐれない日が続きました。事の次第は、僕の身近にいる女性から、僕の胸を突き刺すような言葉を浴びさせられたことにあります。そのことを引きずっての一週間でした。腹八分と言う言葉があります。これは食べることのことだけではなく、何事にしても二分は残しておき、腹一杯のことを言ったり行ったりしてはならないのです。それが美徳と言うものかもしれません。イエスは弟子であるヨハネを、その性格の激しさから、雷の子と呼びました。この女性は僕にとっては、雷の子です。

 

 

 人にしてもらいたいと思うことは、人にもそのように施しなさい。聖書はこの様に教えています。逆手を取れば、人からされて辛い思いをしたならば、人にはそのようにしてはなりません。と言う事になります。しかし、人は身勝手で人から辛い思いをさせられたとするならば、その人を悪く思い、仕返しさえしようとするのです。目には目を歯には歯を的志向です。この言葉の本来の意味は、報復せよと言うものではありません。僕は人と争うことを好みません。しかし、生きている限り何かしらで人と争う場面が幾度となく訪れるのがこの世の常です。それをいかにして乗り切るかが、僕に与えられた試練であると思うのです。

 

聖書の言葉

 人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。
 しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」<ルカによる福音書6章31〜36>

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時の流れの中で

 今日は時の記念日です。僕は、その由来は知りませんが、思って見れば僕たちは時間に縛られて生きているような気がします。刻一刻と時を刻む時計の針に身を委ねていると言ってもいいかもしれません。時は金なりと言う言葉もあるほどです。時間から解放されて、一日の太陽の動きの中で、のどかに暮らしてみたい気がします。聖書には厳密な時間の概念はありません。初めから、つまり天地創造の時から、終わりの時まで、つまり神の国の完成の時までを僕たちに教え記しています。これは創世記に始まり、ヨハネの黙示録で終わります。

 

 

 一週間の働きを終え、休みの前の晩から僕は時間の束縛から解放されるような気がしています。休みの日の晩からは再び、また明日から仕事が始まると思うと少しばかり憂鬱な気分になります。仕事は神から与えられたものです。本来なら喜びを以って心勇ましく立ち向かう心があって然るべきかもしれません。しかし、決して仕事が嫌いだと言うのではありませんが、それが出来ないのが僕であり、そのように思う人も少なくはないと思います。時は6月、当地は梅雨入りしました。アジサイの花の似合う時期です。自然の営みの中で、自然を慈しみながら心の中に余裕を持てる暮らしがしてみたい思いです。

 

聖書の言葉

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。<マタイによる福音書634

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27年目のアマリリス

 今春、浜松市在住の友人宅からアマリリスを一株貰ってきました。このアマリリスは、僕が浜松市を去る時に、僕の家の花壇に植えてあったものを、この友人に譲ったものでした。いわば里帰りしたアマリリスです。27年目に見るこの花は、僕の青春時代を思い起こさせます。古い友を、過ぎし日々を忘れてはならないと思います。ただ、そのことに縛られて前を見ることを恐れてはなりません。僕たちは、この先何があろうとも神が約束された未来への約束があるのです。今も活きて僕たちの内に働かれる神の約束は、今も昔も変わることはないからです。

 

 

 神はすべて僕たちに必要な物を与えて下さいます。神のなさることは、その時に叶って美しいのです。たとえ人の目に見て惨めに思える状況にあってもそれも神の意志の内にあるのです。聖書を紐解いてみても、苦境の裏には必ず神が回復を与えて下さっています。

人の心の内には、楽しいことより苦しいことの方が深く刻み付けらるものです。だからと言ってそのことで、自らが不幸だと思うのは短絡的です。僕も幾度となく苦しい思いをしてきました。そして今、確実なことは独りで死んでゆかなければならないと言う事です。しかし、未来への約束を示して下さっている神が共にいて下さる確信があるので恐れはありません。信仰とはなんと素晴らしいことでしょうか。信仰とは、神を仰いで生きることです。

 

聖書の言葉

 空の鳥を見るがよい。蒔くことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。あなたがたのうち、誰が思い煩ったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思い煩うのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくして下さらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思い煩うな。これらのものは皆、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存知である。まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。だから、明日のことを思い煩うな。明日のことは、明日自身が思い煩うであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。 <マタイによる福音書6章26〜34>

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