今月も訳なく月末になりました。今月を振り返ってみても僕はこれと言った足跡を残すことは出来ませんでした。平凡な日々の連続です。しかし、思って見れば平凡で良いのかもしれません。悪いことがあっては辛いのですが、これをしてやろうと高を括ってみても空振りに終わるのが関の山です。ただ思うのは、自分を喜ばせるための日々ではなく、何をするにも、神を喜ばせるための日々でありたいと思うのです。享楽にふけり、浪費をし、自分の思いを満足させることは簡単なことです。しかし、神を喜ばせる生活とはいかに難しいことでしょうか。僕たちの身も心も、僕たちのものではなく、神のものなのです。ですから、神を喜ばせ、神に栄光を帰するのが僕たちの本来の生き方です。これが苦であるとしたら、僕たちの人生は虚しいものとなってしまいます。
僕たちの人生は神と共にあります。神の方から僕たちに寄り添って下さるからです。だからと言って順風満帆な人生を送ることが出来ると思うのは浅はかな考えです。苦にある時も神は僕たちを祝福の内においてくださいます。自分の思いがかなった。神に感謝を捧げよう。これは誰もが思うことです。しかし、苦の内にある時にも感謝の祈りを捧げたいのです。嘆きの祈りではありません。いつも喜んでいなさい。どんなことにも感謝を捧げなさいと聖書は教えています。新しく始まる週が祝福の内にあり、いつも喜び、どんなことにも感謝を捧げる日々でありたいと思います。良い週末が与えられますように。
聖書の言葉
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。<テサロニケの信徒への手紙第一5章15〜18>