今年も早や、半年が過ぎようとしています。今はアジサイの花が目を楽しませてくれています。時は刻々と刻まれ、季節は移ろい時の流れとは何と早いものかと身をもって感じています。日が昇り、日が沈むと言う日々の暮らしの中で、この半年僕は何を残してきたのだろうと過ぎた日々に思いを馳せます。思い起こしても心に刻まれた出来事は思い当たりません。決して何らかの功績を残したとか、栄誉を受けたとかそのようなことを僕は求めません。一言でいえば、平凡な日々の連続であったように思います。ぼぅ〜として生きてきたとすれば、ちこちゃんに叱られます。「ぼぅ〜と生きてんじゃねぇよ。!」と。人生に目的を持つことは、生き甲斐となります。喜んで生きることへとつながります。神に造られた僕たちの生活はどうあるべきか。これを考えて生きてゆくことが、日々の暮らしへの達成感、喜びへと変わって行くのだと思います。これは決して難しいことではないと僕は結論付けました。それは、神に喜ばれる生活をすることです。神の教えに従って生きることを喜ぶことです。聖書は、いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさいと教えています。聖書の教え、つまり神の言葉は、禁欲主義ではありません。福音です。福音と言う喜ばしいことに身を委ね、今日は駄目だったとしても、明日の日の光に希望をもって生きること、この積み重ねが人生に確たる足跡を残すことになると思うのです。僕たちには、神から与えられた人生の目的があります。その目的に向かって明日の日の光を待つのです。明日からの新しい週を、この思いを心に刻み生きて行きたいと思います。
ウエストミンスター大教理問答
問1 人間のおもな、最高の目的は、何であるか。
答 人間のおもな、最高の目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を全く喜ぶことである。