キンモクセイの花の香りが漂う時期になりました。9月も最終週となり、徐々に深まりゆく秋を身を以て感じている僕です。日々、神から給う恵みの内を平安に歩むことが出来るようにと願いつつも、人との関係の中では、トラブルを避けては通れない現実があります。今週は僕にとって、辛い週となりました。人間関係ほど、厄介で難しいものはありません。腹の中では怒っても、笑顔でいられるような処世術を僕は持ち得ていません。僕の祖母は、相手の出様で、鬼にも蛇にもと言っていました。これが人の自然な感情なのかもしれません。
最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。
「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押えて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行ない、平和を求めてこれを追い求よ。
主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行なう者に立ち向かう。」聖書はこのように教えています。人にはそれぞれ持った我と言うものがあります。また、自分を正当化しようとする心があります。これがトラブルの原因となります。あることを指摘されて「そうだったのか。」などと物分かりの良い人などほんの一握りです。しかし、僕たちはこの現実の中を歩んでゆかなければなりません。僕は人に打ち勝とうなどとは思いませんが、道理の通らないことを赦すことはできません。このことが相手の頭に火を着けることになるのです。一度着いた火を治めることは並大抵のことではありません。ことは物別れに終わりましたが、後味の悪いものです。平和の神、慰めの神が臨まれることを祈って、この週を終わりたと思います。
聖書の言葉
主があなたを祝福し、守られますように。
主が御顔をあなたに照らし、恵まれますように。
主が御顔をあなたに向け、平安を賜りますように。
<民数記6章24〜26>